四国にはわたしが20歳代半ば頃に、レンタカーで旅をした記憶がある。何故、四国を選んだのか、と問われれば田宮虎彦氏の小説を読んで、尋ねてみたい岬が高知県にあったから。
■ その小説の名は
その小説の名は「足摺岬(あしずりみさき)」。自殺を考えて足摺岬まで来た男が、人の人情の暖かさに思い止まる、というものでした。
田宮氏のこの作品(この作品以外でも)は、名状し難い「暗さ」がある。その事も同氏の作品が好きな理由です。そんな暗い話はまっぴらごめんだという人もいるでしょうが、わたしは好き。
わたしは元来、孤独な性格です。一人でいることに苦痛がなく、また一人が寂しいとはほとんど思いません。永い独身時代の一人暮らしでも、厭だとは少しも思わなかったので結婚も遅かった。同氏の言いようのない寂しい小説の記述はわたしの好みにピッタリだったのです。
■ 断崖絶壁の岬
四国へは今日のような大橋がかかっていない頃で、フェリーで兵庫県の神戸から渡った。そこから海沿いに時計回りに回った。最初に同じ高知県の室戸岬という四国の東の突き出た岬にも立ち寄った。こちらは殆どその頃の記憶がない。単なる通り道であったに過ぎなかったからだろう。
人はおかしなもので、突き出た半島をなぜか一周してみたいと思うものですね。わたしの場合でも、四国最南端の足摺岬と同じように、突き出ている室戸岬にも惹かれた。
冒頭の画像のような突き出た岬の断崖絶壁のほん手前に、白い灯台が天に向かって生えたように立っていたなと言うほかは、殆ど記憶がない。しかし、遠くから岬の先端を見れば、崖っぷちに立っていることが確認できた。
『あそこから飛び降りたら、間違いなく死ぬやろな』
と感じたことは鮮明に記憶しています。死にたい人は、たとい30㎝の深さの水の中でも死ねると言いますしね。
■ 灯台付近
足摺岬灯台の付近は、思いのほか来訪者が多く。あちこちで人だかりが出来、歓声が上がるのに少しの感慨も湧かないまま、わたしはその地を離れました。わたしは、何か裏切られたような気がしました。
もし、わたしと
わずかな他の来訪者だけであったら、岬の崖から実際に飛び降りて命を絶ったに違いない人への感慨がわいてきたのかも知れない。
有名な観光地とはこうしたもので、大抵の場合土産もの探しの方が記憶に残ったりするものです。
■ その後
わたしの、記憶の中のその後の足取りはまるで記憶から消え失せてしまっています。時々、足摺岬と言う言葉を見たり聞いたりする度に、田宮虎彦氏の同名小説とわたしがそこにはるばると足を運んだという事実だけが、無性に懐かしく思い出される。