聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

買い物待ち難民と飼い犬

 

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画像出典:日立市


妻子の買い物にショッピングモールに出かけることがあります。

わたしはそこへは運転者としての値打ちしかない。そこに行っても、わたしには欲しいものは殆どない。辛うじて見るのは、そこにテナントとして入居している大型の書店や家電量販店、100円ショップなど。ちょいと覗く程度です。そのあとは、車に戻って暇つぶしになる。

 

モールの外に、趣味の釣具の店があったりホームセンター、散歩の出来る遊歩道などがあるなら、天気次第ではあるがそちらで時間を潰してもよいでしょう。けれどショッピングモールも大方の場合、広大な工場跡や再開発地あるいは田園の中に建っていたりするので、思うに任せられない。

 

 

■ 店内を見回せば

店内にも、私と同じような買い物に興味がない男性が、所在無げにかしこに設けられた椅子に座っているのを見かけると、ちょっと仲間意識が湧いてきたりするものです。ある人は、スマホを操る、こちらの人は本を熱心に読む。頭に入っているのかは疑わしくはある。

 

何故と言うに、頻繁に行き交う人にチラチラと視線が移るからです。読書も面白ければ、ぐっと引き込まれるものだがそういう本は滅多にないし、わたしの場合は、一度に数冊を読み始めことが殆どです。そのうちの一冊が気に入って一気に集中してしまうこともよくあることですが、まれです。

この読者も、きっと今の本に飽きているのであろう。

 

また、あちらでは持ち込んで来た新聞を、隅から隅まで目を通して、それが皺くちゃになっていたりする。それも終えてしまうと、腕を組んで寝てしまったりとなる。それは、多分に気の毒でもあり、滑稽でもある。

 

わたしの場合は暇つぶしには、出掛ける時に用意して来た本とか、お絵描き帳を開く。しかし、それは気休めのようなもので、実際にしっかりと本を読むことも、何かの下絵を描き進めるほどでもない。単に、もしかしたら読んだり描いたりするかもしれない程度の気持ちでに持って出るだけの事。

 

わたしが車で待つ間にも、駐車場には出入りがある。その人たちを、特別な意識なしにぼんやりと見ていても、そうつまらなくはない。様々な車と人が現れモールに入っていく、あるいは手提げの袋を抱えて嬉しそうに車に戻って来る。

 

確かにそれを見ているのもそれ程につまらなくはないなと思える。もっと言えば、結構楽しい。色々な表情が伺えるから。

 

 

■ 連れてこられた犬

わたしの前の車路を隔てた向こう側に、一台のミニバン(ワンボックスカー)が入って来て数人が降りた。残されたのは、白い中型犬で、自らも一緒に行けるものと思っているところを、飼い主に制止されたらしい。

 

『おーい。置いておかないでくれよー』

と言った風に、去って行く数人の後ろ姿を落ち着かなげに眼で追う。しかし、吠えたり、辺りを引っ掻いたりはしない。おそらく、今日が初めての事ではないのでしょう。待つしかないのだと悟っている風にも見えます。

 

そして飼い主が見えなくなると、取り残された座席に寝そべったのか姿が見えなくなりました。

 

 

■ 一時間後

凡そ一時間が経過しても、犬を置いて車から離れた数人の誰一人戻っては来ません。その間に、何人かの人が向かいの車の前を行き交います。また、その車と隣の車の間をすり抜けて通る者もいる。

 

その度に、白い中型犬は起き上がり外を伺って失望し、また寝そべる。その姿をわたしは、哀れに思わずにはいられない。主人が早く帰って来ないかと待ち遠しくて仕方がなのであろう、、、

 

犬も一時間千秋の思いで待っていることを忘れないで欲しい。そして、犬は人の慰みものでもありません。共に生きて行くパートナーです。

 

犬は人の4倍もスピードで歳をとると言います。すると、わたしが妻子を待つ3時間程は犬には半日にも及ぶということです。そりゃ待ち遠しいでしょうね。早く、犬のところに帰ってやればいいのにと少し腹を立てたりする。

 

例えば、時々戻ってやったり、交代でいてやったり出来なものなのか、と。

 

 

■ しかし

しかし、妻子の方が犬の飼い主より早く戻って来て私たちはその場を離れました。あの白い犬はそれからどれ程に飼い主を待ったであろうか。

ちょいと気になったが、その場を離れてしまうとあっさりと忘れてしまった。