聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

日本にセクハラが無くならない理由

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画像出典:sn-hoki

 

日本では、思っていることをそのままいえば大抵がセクハラやパワハラになります。よく考えて口を開けば良いのですが、いつも自分の立場をわきまえず、つい失言となります。「沈黙は金」ならずとも「べらべらとしゃべるな」は名言です。たとえ、それが愛情の一つの表現だったとしても。

 

■ 男性の女性に対するセクハラ

日本の男性による日本女性に対するセクハラは、一向に無くなりそうにはありません。また、今後もそう容易になくなるとも思えません。

 

何故なら、女性も男性に対してセクハラともとれる暴言があるからです。

例えば、「禿げ」「バーコード頭」「オッサン」「臭い」「糞じじい」「ちび」など日本女性は、平気で言います。女性は、自分たちへのセクハラには非常に敏感ですが、自分たちの男性に対するセクハラには、鈍感です。許されていると考えているふしがあります。

 

若い女性でも、同じです。多分、彼女たちの母親が、夫の事をそのように言っているか、言うことを容認しているからでしょう。対外的謙遜であったり、話題の提供のつもりであったりのためであったとしても、それは許されることではありません。

 

特に年配の女性の口の汚さは格別です。それを、堂々とテレビも笑いで流しています。マスコミですらこの体たらくです。

 

■ 女性から男性に対するセクハラ

男性が女性に向かって「ブス」などといえば、相当な批判は免れないでしょう。しかし、日本の男性は「禿げ」などと言われても、ムカつくことはあっても騒いだりはしません。心の狭い男だと言われたくないからです。従って、日本の女性は日本の男性に対する自身のセクハラに無頓着にでいます。

 

■ 女性が本当にセクハラを止めさせたいのなら

日本の女性が、日本男性から本当にセクハラを止めさせたいのなら、自らも正さなければなりません。テレビに出てくるコメンテーターの女性でも口の悪い女性は、平気でセクハラ発言をします。

日本の男性は、このような日本女性の発言に反論や騒ぎ立てないからと言って、自分たちはセクハラを止めないのなら、それは男性のセクハラもなくならないでしょう。

 

結局のところ、日本女性はもっと自らが襟を正すべきですし、男性も併せて意識そのものを変えねばいくらたっても、日本からセクハラは無くならないでしょう。

何の為に一流校を目指したのか

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画像出典:dai-game blog

 

凡そ、現在の日本に於いて一流大学と呼ばれる大学を卒業するためのコースは、ほぼ、中学入学の時点で決定してしまいます。良い高校に入るためには、中学生の内からそれに沿った勉強が出来る良い中学に入る必要があるからです。良い中学に入るためには、小学生の時点で努力をしておかねばなりませんし、お金の用意も必要です。

 

こういうと大抵の人が反発します。良い中学とはなんだ、とか、普通の中学でも十分で問題はない筈であると。

 

■ 良い高校に入るためには

しかし、余程の勉強が出来る人間でも、ごく普通の中学から高校に入ると、有名高校を目指すような過激が勉強をしない環境となり、どうしても勉強はしなくなるか、勉強への激烈な競争意識が足りなくなります。

 

やはり、中学が良い高校を目指して競合するようなところでないと、まずは一般の中学からでは、歯が立ちません。即ち、よい中学とは勉強の競争が熾烈なところといえます。

 

■ 良い大学

良い高校に入る目的は、一流大学か有名大学に入るためであることは誰でも知っております。これらの大学を出ると、一般的には一流企業から求人が来ます。二流の大学には、一流大学と同じ一流企業が求人をすることも皆無とは言わないものの、殆どの場合二流大学へは、一流企業の求人はありません。

 

従って、二流大学を卒業して一流企業に就職をするのだと息巻いても、殆どの一流企業からは、二流大学には、求人すら来ませんから、一流企業に就職はまずは出来ません。

 

特別なコネクションがあるとか、有名人とか特別なスポーツの才能があるなどの場合はこの限りではありませんが。

 

■ 文系の卒業者は

文系の卒業者が、特別に能力があると言うのでなければ、一流企業には一流大学卒業者がゴロゴロといて、珍しい存在ではありません。そうであってみれば、一流大学の文系卒業者は結局のところ、仕事の段取りの良さや、人柄で決まります。

 

そういうところでは、出世ということを考えても、ゴロゴロいる中から、せいぜい課長までで、それ以上の役職は、余程の実績がなければ、無理です。

 

現在ではどこかから優秀な人材を外部から引っ張て来て登用しますので、昭和の時代のようなトコロテンのような出世はまず見込めません。

 

■ 何の為に苦労して勉強して来たのか

一流大学を出て、一流企業に入っても、確かに二流企業よりは給料も福利厚生も良いかも知れませんが、要はそれだけです。

 

サラリーマンは、一流企業に勤める人で、一生に約3-4.5億円くらいが稼ぎだといいます。そのうち、実に1億円を税金と年金及び健康保険に天引きされるとも言われています。

一生懸命に小学生から大学卒業まで努力しても、特別に能力がない文系であれば、結局はその人の人柄で決定してしまいます。

 

既に、わたしたちはもう高学歴の社会では、高収入を得、出世コースを歩むことは出来ない時代になっているのです。

 

■ 本業の外にバイト、ダメ

そこで、大学を出て就職したら、本業以外で金を稼ぐことを考えねばなりません。即ち、本業である会社勤めの間に、並行してお金が増える投資を考えねばなりません。サラリーマンであれば、副業にアルバイトなどをすると、本業がおろそかになったり、気を取られて本業に打ち込めないという事態が発生します。

 

ですので、本業以外に働くことはしない方がいいと、わたしの経験から言えます。

 

■ 株式投資

借金のない株式投資がお勧めです。証券会社の回し者ではありませんが、これまでのわたしの35年以上の株式投資歴から、株式投資が一番の財産を増やす方法であると結論に至りました。

 

しかし、お金を借りたり、その日に売り買いをして利益を重ねるという投資方法は、絶対やってはいけません。目算が大抵の場合外れるのと、少しの目も離すことが出来ないからです。

 

配当が良い銘柄を長期に持ち、その配当を遣わないでまたその株を買いに回すというスタイルが一番です。それらの銘柄は、建設・不動産関係などいわゆるハイテクの分野でなく、少しづつは変わるが、大きく急に変わることのない、ローテクの産業が向いています。

 

まあ、そのお金は本業でお金稼ぎをしているその時に、一方で株に投資したお金がお金を稼ぎだしているというマルチタスクな稼ぎに成る訳です。確かに、株式は損することもありますが、高配当で不人気でありながら、業績はそう悪くもない、景気にあまり左右されないものを選べばよいかと思います。

子供の頃の村の映画会

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公民館のイメージです。記事そのものとは関係ありません

画像出典:mihoshi55

 

わたしたちの村に年に一度は映画会が開かれることが、子供の頃にはありました。それは、盆も終わり頃のことで、娯楽のない村にあって、わたしたちの大変な喜びの一つでした。無論、無料で村の若手の人たちが、どこからか借りて来たのでしょうが、子供のわたしの知る由もありませんでした。

 

■ 会場は公民館

映画会の会場は、公民館で、凡そ50-60人は入れたでしょうか。しかし、この日は殆どの村人が押し掛けるため、暑い中を寿司詰め状態。午後7時からの上映にも拘わらず、早い人は5時頃のまだ外が明るいうちから入場する人も少なくありませんでした。良い場所を確保したいが為であります。

 

会場は都会のように暗幕を張る必要もありませんでした。立ち見が出来るように、雨戸は取り外しされていましたが、寒村であるため外は真っ暗で、そのような仕掛けは無用だったのです。

 

■ 映画の上映は村人が行う

映画の上映は、専門家が来る訳ではありません。村の若い人が、配給会社から指南を受けて、見様見真似で上映するのです。

 

■ よくフィルム切れる

相当な回数の上映を重ねてきた、いわば廃棄寸前の使い古したフィルムですので、正面の白い木綿の布張りの映写画面に映し出された映像は、常に無数の擦り傷が映写され、いわゆる雨降りのように全編に渡り画質を落します。雨降りでも土砂降りと言ってもよかった。

 

そして、傷んだフィルムはよく切れました。パツンという音がして、つづいて、ぱらぱらと巻き取りリールに切れたフイルムの空回りする音がでます。上映する若い人が、

『あ、切れた。電気点けて』

 という塩梅で、せっかく盛り上がろうとしているところに、冷や水を浴び去られて、恨めし気に村人が映写機の方を見つめます。

『あ、直ぐに治りますから』

と言って、セロテープで切れた個所を繋ぎ合わせ、消灯を指示して上映再開です。

 

■ 映画の最高潮場面では

メインの映画は大抵が、チャンバラもので、正義役の登場人物の一人が危機に陥る場面が必ずあり、そこへ主人公たる高名な俳優のふんする侍が駆けつけるというくだりも、盛り込まれております。

 

そういう場面になり、主人公が救出に馬を飛ばすシーンになりますと、映画を見ている村人たちの中から、期せずして

『早(はよ)う 早(はよ)う』

という声が上がりました。「早う」とは、「早く行ってあげて!」という励ましというか、止むに止まれない声援であります。今から思い返すと、ひとり笑いをしてしまうのですが、当時は殆どの人が声を上げておりました。

 

こういうところでも、容赦なくフイルムは切れたりして、悲鳴に近いため息がもれたものです。

 

■ 主人公の手落ち

その映画は、わたしたちの希望どおりの展開で終了しました。即ち、危機にあった正義の味方の危ういところを駈けつけて救出し「めでたし、めでたし」という展開です。それまで、水も漏らさぬ主人公行動が、何故このような敵方の奸計(かんけい=悪だくみ)にもろくも陥れられたかは、不明ではあります。

 

映画にも見どころがなければならないからだ、としか言いようがありませんよね。

 

大抵、事が起きる前に手を打てたであろうに、と思えるところがなければならないからでありましょう。

 

■ 映画会が終わる

映画会は、このようにチャンバラものの大作で娯楽ものを中心に計3本程度が上映されました。最初の一本目は、白黒のニュース映画で、いつのニュースかも知れない位に古い情報で、それならわたしもテレビで知っていた、と言えるほどの物でありましたが、まあ、映画だから古いのは致し方ありません。

 

そのほかに、子供向けのアニメもありましたが、どんな内容であったか、まるで覚えていません。

 

映画が終わり、みんながいろいろなシーンを語り合いながら三々五々家に帰りついたころには、10時前の事でした。それから幾日かのしばらくは、映画の名残の火種があって、村人やわたしたち子どもの間でも、映画のシーンの会話に登らぬ日はありませんでした。

 

わたしは、このころ将来は映画監督になろうと決心したものです。しかし、そうはなれず、建築工事現場の「現場監督」には成れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんなに愛していても、一緒になれない時代っていいね

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画像出典:YouTube

 

好き合っているのに思うに任せられず逢うことが出来ない、あるいは結婚出来ない。そんなことが、昭和の時代にはありました。家柄が違う、育ちが違う、親の定めがあるという制約があったのです。

あるいは、これは今でもそうですが、妻や夫のある、人目を忍ぶような恋も、どんなに望んでも叶わないことが、厳として存在しましたし、今も昔ほど深刻ではありませんがあります。

 

愛しているのに合うことが定めとして会えない、一緒に慣れない。なんていい時代だったのでしょう。わたしは、そのような時代の一端に生きた人間として、何とも羨ましい。

 

■ 制約があってこそ恋は燃え上がる

『え、そんな不自由な時代なのに?』

とあるいは反問されるかも知れません。しかし、だからこそ恋というものが燃え上がり、失恋があり、哀しい別れがありました。一人の人生に残る悲しく辛い心の疼きが残されたのです。

 

今の時代に悲恋があるでしょうか。愛しながらも別れなければならない社会の壁があるでしょうか。わたしにはあるとは思えないのです。

 

それゆえ、

「一緒に慣れないのなら、いっそ死のう」

などと言うことはあり得ないでしょう。今の若い人を見ていると、馴れ初めなどは、昔と変わることが無いと思うのですが、逢おうと思えば互いが良いのなら会えますし、それを縛るなにものもいませんし、ありません。

 

■ 映画の名作でも

映画の名作でも、男女の恋愛ものは一緒になることが出来ずに終わる悲恋のストーリーが多いですね。人は、社会から制約や迫害を受けることの方が、生きがいを感じるのかも知れないと思える程です。

 

■ 駆け落ちをした人

わたしの知っている人は、家柄が違うということで、家から勘当されながらも好きな人と駆け落ちをした若い女性がいました。わたしと3つくらい年上でしたが。今は、どうしているでしょうか。

 

■ 遂がわば 何の 恋の味

「遂がわば 何の 恋の味」とは、好きでならない人といざ一緒になってしまったら、急に恋心が醒めてしまう、というような意味です。好きなのに一緒に慣れず諦めて生きる、今でもやっぱり好きだ。そのような人生の方が、深みとコクがあると思うのです。

今の時代は、そんな悲恋が味わえないなんて、なんてつまらなく、気の毒でさえおもえます。

 

運転中に同乗者に腹が立つこと

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画像出典:映画ナタリー

 

日帰りではあるが、ちょっと遠出になることがあります。そういう時は、遠出の楽しみから出発した頃は家族も気分が高揚して、会話も弾み気勢あがります。

 

そういうには、全行程を運転するわたしは、気分もよく運転し甲斐があります。

 

■ 昼食

目的地までが遠い場合、どこかで昼食を採ることはよくあります。そういう時には走るコースに昼食を採れるロードサイドのファーストフード店などがあるかどうかも勘案して、後に出来るだけずれこまないようにするのも、運転者の気配りかと心得ています。

 

従って昼食は、早めにすることが多い。そうでないと、空腹で運転するとわたしの場合、運転が荒くなると家族からクレームが出るからです。(自覚症状なし)

 

■ 昼食後

昼食後は、暫くうだうだとした会話をして全員気分も上々です。ところが、少し走ると室内が急に静かになります。見ると、助手席の娘はウトウトしており、後部席の妻たちは完全に睡眠に落ちております。

 

■ わたしだけ

わたしだけが、お目目ぱっちりとして、運転することになります。これが、一番腹がたつことですね。だからといって、起こしてしまうのも気の毒ですので、内心は不満がくすぶっていますが、辛抱のしどころです。

 

■ 目的地付近

カーナビが付いているものの、そこに収録されていないような、目的地である場合、助手席にいる人の出番です。しかし、娘は既にスヤスヤしており、首は横に折れてその深さが知れます。

 

仕方なく、

『あれ、間違ったかな』

とか

『ここの辺りの筈なのに』

などと、つい口から出るのを、聞こえていないのか、娘は起きようともしません。あれこれ迷い運転の末、どうにもならず車を止めて、娘を起こし、スマホでの検索を依頼。

 

■ クラーク・ケント

そういう時、わたしは彼女に

『ホンマにあんたは、クラーク・ケントやなあ』

と嫌味を言います。すると、娘はきょとんとして

クラーク・ケントって何?』

 

あ、彼女は、スーパーマンの主人公の変身前の新聞記者の名前を知っておりませんでした。そういう時代に生まれていないからであります。スーパーマンなら、聞いたことはあるに違いないのですが。

 

クラーク・ケントはスーパーマン。変身前の人で、変身すると新聞社にいなくなる。』

『それで?』

『それでって、事件で特ダネなのに、大事な時にはいないってこと』

『ふーん』

 

意味を理解してくれません。お手上げです。

「どんぐりころころ」

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画像出典:Wikipedia

 

童謡はいつ聞いても懐かしくいいものですね。

わたしたちが懐かしく聴く童謡も明治後期から昭和初期までの曲が大半で、以後にはそれ程有名なものはありません。

 

■ 「どんぐりころころ」

この曲は、大正時代に作られた唱歌、広義の童謡。作詞:青木存義、作曲:梁田貞。この曲は、田舎出のわたしにはなじみが深く、都会に出てからもよく歌ったものです。

 

  1. どんぐりころころ ドンブリコ
    お池にはまって さあ大変
    どじょうが出て来て 今日は
    坊ちゃん一緒に 遊びましょう
  2. どんぐりころころ よろこんで
    しばらく一緒に 遊んだが
    やっぱりお山が 恋しいと
    泣いてはどじょうを 困らせた

   (出典:Wikipedia

 

■ 替え歌

 1. どんぐりころころ ドンブリコ

   どんぐりころころ ドンブリコ

   どんぐりころころ ドンブリコ

   どんぐりころころ ドンブリコ

 

という風に、ただ「どんぐりころころ ドンブリコ」をひたすら繰り返すという訳です。これを二回続けて歌いますと、こんな感想が出ます。

 

『あー、しょうもな』

ですが、まあ歌えなくもないので、時々歌っては大きなため息をつき、

『あー、しょうもな』の後には、自身に対する笑いが込み上げてきます。

 

貧すれば鈍す(貧乏は人を愚かにする)

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画像出典:osumai-soudan

 

「貧すれば鈍す」とは「貧乏をすると、たとえ賢い人でも愚かになってしまう」という意味です。確かにそういう事はありますね。

 

昔、名をはせたスポーツ選手、俳優などでも時々記事になります。そういう有名人でなくても、犯罪ニュースでの一般人も多い。

 

■ 貧乏になると

貧乏になると欲しいものが得られないという窮乏の生活が強いられるのですが、ごく普通の生活をしていても、欲しいもが得られず残念するというようなことはあります。

 

わたしの弟でも、小学校の時学校の購買部で鉛筆を万引きして捕まるということがありました。現在の小学校ではではありませんが、わたしの子供の頃には、学校に文房具などを売る購買部というものがあったのです。それは他に店がなかったからであります。

 

■ 万引き

弟は、ただ文房具が欲しかった。しかし、それがないとすぐに勉強に支障が出ると言うほどでもありませんでした。

ただ、文房具が欲しいが親に言っても買って貰えないという家庭の経済事情があったから、目の前の物につい、手を出してしまったということであったと思います。また、スリルを求めてやった訳でもありません。

 

■ 直ぐに捕まると

直ぐに見つかり捕まって、親に連絡が行き、親に叱責ということでこの件は決着がつきました。それ以降に繰り返しは起きませんでしたが、これが見つからなければ、繰り返していたかも知れません。

 

■ 不当に思えること

貧乏になると、何か欲しいものが自分の資力では買えない。しかしながら、目の前にはこんなにも豊かに欲しいものがある。そこにそれ程豊かに並べられていることが、何か不当なことのように思えます。そして、自分に対する当てつけのようにも思えるものです。

 

たとえ、それらの一つを貰っても(盗んでも)いいのではないか?

目の前の物を得るという欲求だけが、物事の善悪の判断を制する時です。これを盗めば、どんなにか自身は解放されるだろう。

 

■ 盗めという声がする

『盗め』という声が聞こえます。『あとはどうにでもなるさ』という思いが一瞬脳裏を掠(かす)めます。おそらくは、殆どの人はそのような立場になったことがないことでしょう。わたしは、何度もそのようなことで、補導されたり、未遂に終わった経験があります。

 

そこで、思いとどまれるのか、実行してしまうのかは、結局のところその人の現在の貧乏の程度、その人の自制心の度合いであろうかと思われます。

 

 

紀州の和尚(おしょう)

 

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画像出典:くらしのマーケット


ある暖かい春の日、縁側に腰を下ろしていますと、わたしの家に向かって一人のみすぼらしい姿の坊さんが歩いて来るのを見つけました。歳の頃は60歳代後半。薄汚れた着物に髭が伸び放題。頭はどうだったか記憶が残っていませんが、坊さんなので剃髪していたか、自然に脱毛して、薄毛であったかと思います。

 

これは、わたしの子供の頃のことのはなし。

 

■ 紀州の和尚さん

紀州(今の和歌山県)のどこかの和尚さんが、即ちその人でありました。それ以上のことを我が家の誰もが知りませんでしたし、知ろうともしませんでした。

 

彼は、来れば長い時には2週間。短ければほんの数日、我が家に逗留するのです。

 

自らが、逗留させて欲しいと言ってきたのであろうと思いますが、父は祖父の代からの付き合いであったとして、快くそれを許して、三度の食事に風呂、寝床まで用意して丁重にもてなしていました。無論、お金は取りません。なんて、長閑(のどか)で心豊かな時代であったことでしょう。

 

だからといって、食事を含めて特別扱いは全くなかったと思います。我が家は貧乏でしたので、粗食でしたが、特に不服も不平もいうことなく、まるで雲の上の仙人のような存在でした。

 

お経は仏壇に向かって少し上げてくれたようですが、昼間の時間の過ごし方は殆ど覚えておりません。

 

■ 定期的に来る

僧侶になる夢を持っていながら、結核で早世した家族が我が家に居たという話を聞いたことがありました。それで、祖父や父に和尚に何かの親近感がもったのかは、今考えなおしてもも判然としません。

わたしが、記憶にある限りでは、数年このようにして、現れたものでした。

 

■ そして出立(しゅったつ)

ある日に紀州の和尚さんは、予告なく

『世話になった』

といって、出立してしまうのが常でした。前もって何時いつと決めているわけでもなく、気が向けばまた、ふらっと旅に出てしまうようでした。それから一年間は、来ない。が、一年が経てばまた、必ず来ると繰り返しでした。わたしの記憶の限りでは、3年に及びました。

 

■ そして来なくなった

また春が巡り来ました。しかし、いつもならふいと現れるその老人は、とうとう来ませんでした。そしてそれ以降も。病気にかかったか、それとも、亡くなったのか分からず仕舞で、何の知らせもないままに。

 

それを我が家の誰も気にする訳でもありません。

『今年はこないのかな?』

と誰かが言った程度でした。

 

もしかすると、あの紀州の和尚さんは、自称の風来坊だったのかも知れません。

 

 

 

家の湯船で歌を歌いますか?

 

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画像出典:chanto.jp


家の風呂の湯船に浸かっている時に、歌を歌いますか?例えば、鼻歌などを。

その日の気分にも依りますが、わたしは歌うことがあります。曲目もその日の気分によって、明るいものから、暗く沈んだものと幅はあります。

 

■ 先日の曲は

先日湯船に浸かって歌った曲は「雨」(歌詞:北原白秋 曲:弘田竜太郎)の

童謡のメロディーでした。

 

歌詞は、

 雨が降ります 雨が降る

 遊びに行きたし 傘はなし

 紅緒(べにお)の木履(かっこ)も緒が切れたーーー

 

というものですね。

非常に哀調の富んだ曲で、雨降りには切なくなります。

 

■ 「雨」の替え歌で

わたしは、この「雨」の替え歌を歌うことがあります。その替えの歌詞は勿論わたしの作であります。ほとんど世に知られていません。というか、皆無であります。

 

それはこんな風です。

 カネがいります カネがいる

 遊びに行きたし カネはなし

 財布をあけても ごみも出ず

 

というものでした。それをわたしは、今のわたしを象徴するかのように歌っておりました。そのわたしを違うわたしが笑うので、歌ったあとで

 

『あーしょうもな』

とため息交じりに言いますと、

脱衣兼洗面所にいた娘が

 

『オッサン。辛気臭い(しんきくさい)歌、歌うな!』

と突っ込まれました。

わたし、

『えへへ』

 

ふりかけ

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画像出典:丸美屋

 

わたしは、今でも家族と買い物に出ると、「ふりかけ」がある棚の前で、時々、ある感慨に浸る。弁当のご飯の上に掛けられたり、小分けになってそれに添えられているあの「ふりかけ」です。

 

それは、わたしが望んで得ることが叶わなかった、遠い記憶に続いているからであります。

 

■ 弁当の時間

わたしの中学時代には、給食はなく弁当持参でなければなりませんでした。しかし、弁当のおかずは、その三年間で殆ど変わることはありませんでした。決まって、黒々とした昆布の佃煮、ちくわ、卵焼きの3点でした。

 

あまりの代わり映えのなさと、みすぼらしさに、弁当の時間には左手で弁当をしっかりと囲うようにして、殆どのみこむようにして、素早く食べ終えるのが常でした。

 

 

■ 前の席の弁当

それに引き換えて、前の席の級友の弁当は、 わたしの比較にもならない程に豊かでありました。おかずは、彩が美しく映えるように工夫され、白米の上には、「ふりかけ」がありました。

彼は、おもむろに弁当の蓋を取ると、蓋についた「ふりかけ」を、丹念に箸でこそぎ取り、口に運ぶ。それが終えるとようやく、弁当を食べ始めるという塩梅でありました。

 

 

■ ふりかけ

そのふりかけは、ご飯の上で、丁度色づいた山のように鮮やかで美しくわたしには思えたのです。

 

『どんな味がするのだろうか。一度たべてみたいものだ』

わたしは、その欲求を、しかしそれを母に告げることは出来ませんでした。わたしの家は、麦飯を主体とする程の困窮をしており、その麦ですら切らすことも少なくなかったからです。

母は口癖のように、

「カネがない」

と言っておりましたから。

 

■ 盗もうとした

村に3軒の店があり、どれも個人経営の小規模なものでした。家から最も近い橋の袂にある店が、わたしの家の行きつけでありました。そこに、その級友の弁当にかかっていた同じ「ふりかけ」は売られていたのです。

 

ある時、何かの買い物に行って、高額の紙幣を差し出すと、店主の妻は釣り銭の用意のために家の奥に消えました。

その時、『今なら「ふりかけ」を盗むことが出来る』。それは、わたしに天が与えたチャンスのように思えました。わたしの心は、善悪の判断をこえて、ただそれが欲しいと思った。

 

■ 「ふりかけ」を取り損ねる

わたしは、「ふりかけ」を実際に手に持ち服の内ポケットに素早くしまおうとしました。しかし、極度の緊張で手が震え、床に落としてしまった。間もなく、店の奥から物音がして、店主の妻が戻ってきました。わたしは、拾い上げる動きに移れぬままに、その場に立ち尽くしていました。

 

わたしの胸は早鐘を打ち、動悸が彼女に聞こえるのではないかと思ったほどでありました。

以来わたしは、結局あれほど望んだ「ふりかけ」を相当の長らくの間、食べること叶いませんでした。

 

■ 我に返ると

今、「ふりかけ」の売られているスーパーの棚の前で我に返ると、そこには種々のおいしそうなふりかけが並んでいます。今なら、それらを買うことは造作ないことです。

それをしかし、今は少しも欲しい、買いたいとは思わない。

 

欲しかったのは、あの時であったのですから。