聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

銀も金も玉も(しろがねも くがねも たまも)

画像出典:なんぼや

 

今年の3月初めころには金価格は史上最高値を付けました。それから7月下旬である現在まで右肩下がりに下落して来てはいますが、それでもおいそれとは買えない程に高価です。

 

わたしは売るほどの金をはじめとした貴金属の宝飾品類は持っていません。それ自体に殆ど興味がなく欲しいとも殆ど思いません。家族はどう思っているのかは知りませんが、少なくともわたしは。

しかしながら地金(じきん)ほか銀とプラチナをそれぞれ、月2,000円積み立てをしております。。始めてから凡そ一年になりますかね。

 

インフレや有事の金などと言いますが、本当に抜き差しならぬ有事に成ったら貴金属より食べ物や生活物資の方が大切です。金など持っていても、腹は膨れませんし、今わの際に至っている者にとってどれ程の意味がありましょうか。

 

しかし、現実にはそこまで有事である事はまずないとわたしを含めて、誰しもが思っています。

しかし、この世の中どんなことがあってもおかしくありませんし、そんなことはあり得ないとか起こりえないと思えていたことでも、実はあり得ます。例えば、ロシアウクライナの戦争とそれによる世界経済のインフレなど、その象徴的な出来事です。

 

ウクライナの政権部の人達も、ロシアが攻めてくるとは思わなかったでしょう。

「この民主主義の時代に、戦争なんてありえない」

と考えていたのではないでしょうか。しかし、実際に戦争は起きました。

 

わたしのこのブログの副題は、

「天と地の間に新しいことなし」(ドイツのことわざ)

です。人間と人間社会は進歩して来たようにも見えますが、実のところそれ程でもありません。というより、殆ど進歩しておりません。形は違っても、同じ道を通り同じ過ちに落ちています。

 

■ それなのに

それなのに、有事には腹の足しにもならない、貴金属の積み立てをするのは、わたしは何故なのか。

食べるに困る破滅的な世界や日本の社会が、まさか来ないだろう。であってみれば残された家族に、貴金属も少しの訳に立つだろうとの楽観的で希望的観測で行っているに過ぎません。

わたしも、少しも進歩がないのです。