聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

続 5羽のスズメ

 

画像出典:Canon グローバル


過日、「5羽のスズメ」と言う名のブログを書きました。その書き出しは次の様なものでした。

『わたしの住まいは、住宅街の角地にあって、道を挟んだ向かい側にも中年夫婦の住まいがある。その家では小鳥を飼っているらしく、毎朝主人が道端に出て、餌の殻を吹いて飛ばす。その作業が終わると、遠くから見ていたらしいスズメが飛んでくる。

 

目的は無論、小鳥の餌の殻やその時に一緒に飛んだ餌その物にある。それが、スズメたちのごちそうなのである。それを待っているのは五羽のスズメたち。』

 

■ スズメには味覚がある?

本日は、この五羽のスズメたちに、先のブログ以降にわたしもほんの少しの餌を撒くようになりました。同時に単なる餌やりを少し押し進めてスズメには味覚があるのか?を、考察してみたいと思います。

 

わたしがスズメたちに撒く餌の中身は多様です。

パン屑であったり、米飯の残り、現在店頭に多く並んでいる収穫されたばかりのトウモロコシの粒のかけら、ピーナツの砕けたもの、床に落ちた菓子片などです。これらをいずれもスズメの口に合うように少し砕きます。

 

野菜も娘が小さく切り刻んで与えてみましたが、見向きもしませんでした。多分、それはもっと新鮮な近くの田畑で調達できるからでしょう。

 

僅かなわたしの撒いた餌を無心に食べているのを見ると、ふと、スズメにも味覚があるのだろうかと考えました。

前回のブログでは、餌に紛れて小さな紙きれを混入してみましたが、食べませんでした。

「ぺっ、何や紙かいな」

てな感じで、紙きれを咥えて直ぐにプイと吐き捨てました。

 

『紙は食い物じゃあないとわかるのだから、味覚は有って、存外に鋭いのかも知れない』

とわたしは考えました。どんな風にすれば分かるのだろう。味なのか?匂いなのか?

 

 

■ 柿ピーを与えてみた

それは、夕食前のビールを飲んでいる時の事です。

つまみの「柿ピー」を見ながら、この柿の種の形をしたオカキをスズメにも少し残しておいてやろうと思い、かけらを少し除けて置きました。この時には、純粋にこのオカキならスズメも喜ぶに違いなかろう、と考えて事でした。

 

余談ですが、柿ピーはビールのつまみには相性がよく、柿の種をしたオカキはピリッと辛いので、それを中和するのにビールを一口のむ。すると、何故か柿ピーが食べたくなって、2-3個を頬張る。

この繰り返しでビールが自然と進む。

『ビール会社と結託した商品かもな』

などと思ってしまいます。

 

ビールを飲みながら、ふと

「さて、このピリッとした柿の種状のオカキをスズメたちは、ごく普通に食べられるだろうか?」

と言う疑問が浮かんだのは、意地悪なわたしの好奇心からでした。

そこで、スズメの口に合うように砕いて、他の餌と混ぜて与えてみることにしたのです。

 

■ 結果

さて、結果です。

スズメは、確かに一度はこのオカキ片を嘴に挟みました。しかし、紙の時と同様に「ぺっ」と即座に吐き捨てました。そして、他の餌に移ります。それを見ていた、他のスズメが、吐き捨てたものを嘴に挟んではみるものの、同様に吐き捨てます。

五羽のスズメの殆どが同じ動作をしたのです。

 

つまり、ピリッと辛い柿の種のオカキはスズメの口に合わない、と言うことでしょう。即ち、嘴に挟んだ段階で、食べることが出来るか否かが即断出来るということに他なりません。なんでも滅法につついて食べている訳ではない訳です。

 

しかし、その他の餌が平らげられた後に残された柿の種のオカキ片は最終的には、五羽が食べてしまいました。それを、目撃しませんでしたが、餌は見事に食べ尽くされていたのです。辛いので食べたくはないが他の食べ物が食べ終わって飽食したのでなければ、辛くとも食べるしかないと考えたのでしょうか。

 

その後は、柿ピーの撒きえはしないことにしました。スズメは、甘いお菓子類はわたしと同様に大好きですのようなので。