聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

京都の北、丹後半島のおすすめ観光スポット

 

 

北の京都観光スポット「丹後半島
画像出典:ヅヅキング



本日は、京都市内以外の京都府下の観光スポット(地)を紹介します。

大方の人が、京都観光といえば京都市とその周辺地域への観光で終わってしまうようですが、京都府下にもいくつかの観光スポットがあります。そのうち本日は丹後半島周辺に限定して紹介したいと思います。

蛇足ですが半島とは三面以上が海に面している地域を指します。

 

■ 天の橋立

日本三景の一つのとして有名な天橋立丹後半島の東の付け根である宮津市にあります。

天橋立は、宮津湾と内海の間にある砂嘴(さし)のことです。砂嘴とは、砂が堆積してできた鳥のくちばしのような地形のことで、宮津湾と内海の間に積もった砂の道のようなものだと言えます。全長は約3.6km、白い砂に青い松が生い茂る人道になっています。

下の画像の上の方の山に登れば、「股のぞき」も出来ます。

 

画像出典:天の橋立観光協会

 

画像出典:海の京都観光園
天気が良ければ「股のぞき」も良し

 

 

■ 森鴎外作「山椒大夫(さんしょうだゆう」の地の宮津市

宮津市は、小さな地方都市ですが、古く室町時代から栄えた港町です。

森鴎外の著作「山椒大夫(さんしょうだゆう」と言う短編の地としても有名です。わたしの若い頃には教科書にも出てい記憶がありますが、或いは、わたしが個人的に求めた鴎外の本の中であったかは定かではありません。

 

また、アニメやコミックでは題名は「安寿と厨子王(あんじゅとずしおう)」としているものもありますが、冒頭の森鴎外の同作品と内容は同じです。また、鴎外は宮津地域に残る古文書の中にあった伝えを元にして鴎外の創作が加わった小説であると言われています。

 

大まかにいえば

旅をする母子三人は、道中で悪質な人買いに騙されて母と姉弟は離ればなれになり、強欲な山椒大夫土豪に奴隷として売り払われて酷使されるなど苦難の年月を送ります。やがて姉の犠牲で、京の都へのがれた厨子王が出世して復讐を遂げるというあらすじです。

画像出典:おうち映画

 

宮津市には、これを観光ツアーを組んでいます。が、今は新感染症で規模を不定期か縮小しているかも知れませんが。

確認して、良ければ、是非。

 

 

■ 伊根町の舟屋

宮津市を海岸沿いに北に進むと「舟屋(ふなや)」で有名な伊根町があります。外国人にも人気のスポットです。

 

舟屋(ふなや)
画像出典:伊根町

 

伊根浦伝統的建造物軍保存地区に指定されており、街中の細い曲がりくねった道を歩くと、磯の香りと長い歴史を感じ取ることが出来ます。

写真のように海際に立ち並ぶ家々。まるで海に浮かんでいるようにも見えます。伊根湾の沿岸にはこのような「舟屋」と呼ばれる建屋が約230軒、軒を連ねています。

 舟屋とは、もともと船を海から引き上げて、風雨や虫から守るために建てられた施設。昔は漁で木造船を使用していたため、それを乾かす必要があったのです。船を収納する一階に対して、二階はかつて網の干し場や漁具置き場として使われていました。二階のつくりも今のようなしっかりとしたものではなく、板を渡しただけの簡単な構造のものだったようです。

 

■ 与謝蕪村、与謝野礼厳、与謝野鉄幹と晶子、高浜虚子の故郷与謝野町

宮津市の西に与謝野町と言うところがあります。「与謝野町」の「与謝野」を聞けばあるいは文学好きな人なら、もしかして「与謝野鉄幹と晶子」かいな?あるいは、「与謝蕪村」?

 

と思われるかも知れません。

それは図星であると同時に文学通(つう)の人と言わねばなりませんね。この辺一帯が文学と文芸の地です。与謝蕪村俳人として、つとに有名ですし、高浜虚子も知る人ぞ知る俳人で、蛇足ながらわたしの遠い師匠でもあります。

与謝野鉄幹と晶子
画像出典:産経新聞

 

与謝野礼厳は与謝野鉄幹の父であり、文人でもあります。鉄幹と晶子は度々この地を訪れ、歌碑も分散してはいますが残されています。それを巡るのも楽しみかも知れません。また、江山文庫と言った展示場でもこれらの人々の功績を展示しています。

与謝野鉄幹は、「人を恋うる歌」の歌詞の作者としても有名です。「人を恋うる歌」と聞いても直ぐには分からないかも知れません。この歌詞ならいかがでしょうか。

 

妻をめとらば 才長(た)けて 

みめ麗(うるわ)しく情けある

友を選ばば 書を読みて

六分(りくぶ)の侠気(きょうき) 四分の熱

 

ならわかって貰えるでしょうか。今の若い方にはそれでも難(かた)いかも知れませんが。

 

与謝蕪村(よさぶそん)は俳人。当時にこの地に庵を結んだようです。江戸時代中期の生まれです。与謝蕪村が評価されたのは、明治になって正岡子規らによるものです。放浪の人生でした。

初雪の 底を叩けば 竹の月

などいかがでしょうか?下駄の雪を竹に叩いて、払い落したら、竹の間に月が出ていた。と言った解釈でしょうか。

 

 

■ 日本鬼の交流館

「日本鬼の交流館」は京都府福知山市(旧加佐郡大江町)の大江山麓にある鬼伝説をテーマとする博物館。

大江山には3つの鬼伝説が残されています。この伝説を"町おこし"の起爆剤として活用すべく、廃坑となった銅鉱山の跡地に1993年(平成5年)4月に開館しました。 同地域には、一条天皇のころ(986~1011)大江山京都府北西部丹後山地の主峰)に城を構え平安京を脅かしたという鬼王となった、「酒呑童子」の伝説も触れられています。

 

この地域は、都に劣らない文化の栄えた土地でもありました。二度ほど訪れた記憶がありますが、今はその面影を伺うことは出来ませんでした。

画像出典:大江町Google

 

■ 丹後古代の里資料館

資料館のある地域には古墳が数多く点在しており、資料館にはそれらの資料が多数収蔵されています。埴輪、銅鐸など。丹後半島は古くから栄えた地域だったことが知れます。広い敷地には竪穴式住居も数棟設けられています。

画像出典:同館資料より

 

ここに展示の銅鐸の種類は数は、これまでわたしが京都以外の地で見て来た同時代のやそれに近い時代の中にあっても決して引けを取らない規模です。

紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用されたそうです。鐘の機能のほか、豊作への祈願の行事にもつかわれたようです。

 

その他にも、幾つもの見どころがあるのですが見て回るにはどうしても、車が必要でしょうね。しかし、田舎の町でもあり、混みあうようなことは殆どありません。が、距離は離れているので、丸一日を御譲り下さい。