聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

田舎で取った自動車免許

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画像出典:tabi-magu


 

わたしは京都の田舎町で自動車運転免許を取得しました。

家に車があった訳でも、買う予定でもありませんでしたが、就職して営業職に就いたら是非とも必要となるだろうと思い取得したものでした。

 

従って、自動車学校以外で運転したこともないまま、案の定、大阪市内という都会で営業職に就くこととなりました。車も2年目からは専用を与えられましたが、古い車ながらわたしが使用することで、あちこちに当ててボコボコになってしまいました。

 

当然、当てた相手があることで、営業職がお金を出し合って積み立てていた、修理費をわたしが一人で一年分使い切る年もありました。始末書は何枚書いたか知れません。

 

■ 大阪市内の会社

一番怖かったのは、8車線くらいある御堂筋(みどうすじ)という大阪で一番広い一方通行の道路でした。会社はこれに直行する形である細い道の一つで、300m程入ったところにありました。

 

この道路は、営業から会社に戻るには何かと、交通の流れが良く時間もかからないことから、社員の多くが利用しておりました。わたしも大阪市は不案内な土地でしたので、ルート営業に出ても、帰りは教えて貰った道筋しか通ることもありませんでした。

 

■ 会社に戻れない

ところが、どうしても左端のレーンを通ると交通の渋滞が起きやすく、道路の真ん中あたりを走ることが多かった。会社に近づくに連れて、車を左折すべく左の端のレーンに寄らねばなりませんが、これが出来ないのです。

 

田舎での道路教習は片側一本のずつの交互通行でしか行っておらず、二台が並んだ状態で走ったことがありません。それで、怖くて左端のレーンに寄れないのです。会社の前の道に通ずる左折するはずの交叉点をやり過ごすしかないことが、よくありました。

 

■ 会社では

会社では、わたしが戻らないとよく心配されました。現在の様に携帯電話がある訳でもなく、わたしの事情を説明もどこかに留めて公衆電話から報告しなければならないため、車を左のレーンに寄せて停まる必要もありますが、それが簡単には行きません。簡単に出来る位なら、会社に帰着しているでしょうから。

 

■ 約三年

それでも慣れとは恐ろしいもので、三年程経つ頃には無難に会社を行き来ができるようになりました。そこまでには、大きな事故は起こしませんでしたが、当て逃げしたり、建物や道路の工作物を壊したり、擦ったりは良くしたものです。

 

当て逃げには、向こうから会社に怒鳴り込まれたりしたものです。若い時のわたしは本当にどうにもならない人間でした。今から思うと顔から火が出る思い出です。