聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

ふるさとは遠きにありて

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室生犀星(詩人・小説家)

画像出典:Wikipedia

 

ふるさとは 遠きにありて思うもの そして悲しく思うもの」とは室生犀星(むろうさいせい)の望郷の詩であります。

 

こんな切なく、故郷を思う事が出来た時代が、今日では羨ましくもあります。今日においてはそのような、閉鎖性も、心理的な障壁もありません。また物理的な障害も交通の利便を考えれば、あり得ない。すでに、故郷と呼ばれるような、町は衰退し、寂れ、滅びかかっています。

 

■ 歓迎される

むしろ、室生犀星が追われるように出た強固で閉鎖的な時代は、どこにもその面影を見ることは出来ません。いま、故郷に帰るれば歓迎されることはあっても、追い返されるような痛みも感じずに済むでしょう。

 

■ 室生犀星が生きていたら

室生犀星が生きていたなら、このような今の時代をなんというでしょうか。また、どのような行動をとるでしょうか。自分の持ち続けた、故郷感を壊すことなく、頑強に帰郷をしないままで終わるでしょうか。見てみたい気もします。

 

■ 我が故郷

わたしの生家は、失火して8割が燃え落ちてしまいました。失火もとである一人住まいの父は、近所の人の知らせで間一髪で難を逃れましたが、もう住まうことは出来ず、晩年を京都市の近い市で送り、病院で死去しました。

 

生まれた土地を離れての慣れない老人ホームに、気ままに過ごした故郷が忘れられず、ストレスが溜まり、施設を傷めたり、職員への暴力などがあって居辛くなり出ましたが、短期の療養ホームを転々としなければならなくなりました。最後は肺炎に罹患。

 

■ わたしにも

わたしにも父が望んで帰ることが叶わなかった、山深い寒村への望郷の念がないではありませんが、既にわたしの同級生も、親しい知人も土地を離れ、あるいは死去しています。墓参が為に、年に数度帰るだけとなりましたが、いつも草茫々の敷地を見ながら、しばらくは、脳裏に駆け巡る懐かしい子供の頃の記憶に呆然として時を送ることがあります。

 

やっぱり、

 「ふるさとは 遠きにありて思うもの そして悲しく思うもの

なのでしょうか。