聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

村一番の素封家の終焉

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イメージです

画像出典:Japaneseclass


 

先週の日曜日、外出している時に弟から携帯電話がありました。

弟は、開口一番、わたしの実家があった田舎の隣家の一人住まいの男性が死去し葬式も済ませているとの情報を息を切らして告げました。

 

■ 村一の素封家(そほうか)

わたしの実家の隣家は、わたしたちがそこに住んでいた時には、村一番の素封家(=おかねもち)でした。それに比してわたしの家は村で一二を争う貧困家庭でありました。

弟が知らせてきたその男性は、この素封家のたった一人の息子でした。

 

■ 高校卒業後

彼は、勉強嫌いで高校を卒業後は京都市内で職に就いたようでした。良い会社に入社したとしきりに彼の母親は自慢しておりましたが、僅か2年で離職し実家に戻り、農業の傍ら地方の小さな会社勤めもしておりました。

 

■ 結婚

そして、結婚し子供が二人出来、妻は町内のスーパーの店長として働いてもいて収入は盤石でした。彼の人生は、ここまで非の打ちどころのない順風満帆の歩みであったかと思います。さらには、当時は両親も健在で、町の名誉職にも就いて、隣家の隆盛は永久(とは)に続くと思われました。

 

■ 交通事故

しかし、不幸は誰に身にも予告なしに訪れるもので、隣家の生活が突如暗転することになったのです。それは、中学校への登校に出遅れた次男を、彼の妻が中学校にる途中に発生した。

 

大型のトラックと衝突し、二人は即死となったのです。彼女の運転する車が道路のセンターラインを越えて対向車線にはみ出したことが原因でした。何故、センターラインを越えてしまったかは、ついぞ分からず仕舞い。

 

■ 自暴自棄

突然の交通事故で妻と息子の一人を失って、自暴自棄になった隣人の男性は、多額の保険金で遊蕩し、働かなくなりました。そして、彼の父親も塞ぐようになり、数年の後に亡くなってしまいました。

残された、彼の老いた母親と中学生に入ったばかりの息子は、悲嘆の毎日であったことでしょう。

 

後に、息子は大学進学のために下宿をしていて、そこの一人娘と通じて子供が出来た。という話までは聞きましたが、それ以降のことは、父親である死んだ隣人からも、老いた母親からも聞き及ぶことはありませんでした。

 

 

■ 3か月ほど前に見かけた

わたしの弟は、ついこの間(この間といっても、3か月ほど前)、田を耕す彼を見たといいます。それなのに何故?

それが、急性のガンであったのだということです。田舎の事で、気軽に医者にかかることも面倒ではあったでしょうし、金銭の窮乏もあったようで、あるいは医者にかかることがためらわれたのかも知れません。

 

■ 今は

わたしは先週に隣家にあるわたしの実家であった、今はお墓しかない実家に戻って墓参りをした後、その家の前に立ってみました。静まり返って、人の気配はまるでしません。くたびれた軽自動車が置いてありましたが、タイヤを見れば久しく使われていないのが知れました。

 

この大きな家は、住む人もなく、朽ちてしまうしかないのでしょうか?

村一番の素封家がこのような終焉を迎えることになろうとは。どんなことにも、どんなものにも永遠はなく始めと終わりはあるもの。人生は明日はどうなるかは分からないもの、どうなってもおかしくないものですね。