下の記事を総合すると、
「ビデオ会議はなぜ疲れるのか」
といえば、人と直接会って話す時に理解し易い人の手ぶりや体ぶりが読み取れず、相手の言葉だけでは真意が取りづらい。従って、画面中の顔にいつも細心の注意を払っていなければならない、という事である。
と主張しています。それは確かにあるでしょうね。ビデオ会議は日本では、テレビ会議あるいはTV会議とも呼ばれているものです。この記事を書いた人が外国人なので、一般的な「ビデオ会議」と表現しています。
では、ビデオ会議以前の電話での会話はどうでしょうか?電話だと顔の表情すらわかりません。言葉の調子や言葉数(かず)で理解できなくはありませんが、その分随分と長電話になってしまいます。本当の気持ちを伝えるのには、100万言(げん)を費やしても叶わないという事でしょうか。
相手の顔が見えない分、何かをしながら話したり、その場がどんな状況でも、また、どんな顔や服装であっても相手に知られることがないため気楽ではあります。
友人は、話好きでどうしても電話を掛けてきた時は長電話になります。この時、
『うん。なるほど、なるほど』
などと、興味を示すと、淀みなく長い話になります。途中で話の腰を折らねばならない時、何か物足りないと言った口振りで切ることに同意して終了となります。話を順序だてて話したい人、要点を言わないい人、話がループになっている人は、どうしても長話になりますね。長い電話の話も話好きならともかく、わたしのような者には、それなりにこたえます。
それが、仕事上の会議で、しかもビデオ会議であれば、服装にも気を使いますし、話の腰を折って終わらず訳にも行かず、一定時間を耐えねばなりませんから、苦痛ですね。苦痛も昂じれば病気になってもおかしくありません。
しかしながら新コロナウィルスが蔓延する昨今にあっては、受け入れるしかありません。コロナが収束しても、どんどんとビデオ会議が広がって行くとは、到底思えません。やっぱり会議や会話は直接会って話し合うのが一番です。
「ズーム疲れ」はなぜ? 大きな負担、脳にかかる
ビデオ会議はなぜ疲れるのか
『ビデオ会議では、言葉に対して継続的に強い注意を向けることが要求される。たとえば、ある人の肩から上だけしか画面に映っていなければ、その人の手の仕草やボディランゲージを見る機会は失われる。またビデオの画質が低い場合は、ちょっとした表情から何かを読み取ることは不可能だ。
「そうした非言語的な手がかりに強く依存している人にとって、それが見られないというのは大きな消耗につながります」と、フランクリン氏は言う。
ギャラリービューによる消耗はさらに深刻だ。ギャラリービューでは会議の参加者全員が同じ大きさで画面に映し出されるため、脳はいやおうなしに、たくさんの人の表情をいっぺんに解読することになる。その結果、だれからも意味のある内容を読み取れないこともある。』
『一方で、ビデオ会議への急激な移行は、複数の人が話している状態にストレスを感じる自閉症の人など、対面でのやりとりに困難を抱える人にとっては恩恵となっている。』
(引用ここまで)引用は、部分的に抜粋しています。全体の記事へは下記のサイトへどうぞ。