聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

お金に細かいひと

f:id:yukukawa-no-nagare:20201104065639j:plain

現物最小単位 一円

 

わたしは、ケチというかお金に結構な細かい人間であろうかと思います。

 

他人事のようにこう述べるのは、当のわたしは、少しも細かいと思ってはいないからで、家族に言わせるとそうではなくて、「細かい」という言葉の頭に「非常に」「すごく」とかが付くというのですが。

 

失礼な話だと憤慨はしません。お金に苦労をした人は、お金の大切さや有難さがわかるから、自然とそうなってしまうのと思うから。だからといって、わたしと同じように苦労しろとは言わないし、お金に細かくなれとも、そんなわたしを理解しろとも迫りません。

 

苦労しなくて来たのなら、それはそれでいいことでしょうから。しかし、これから先のことで苦労が待っているかも知れないとは案ずる。

 「一円を笑うものは、一円に泣く」という言葉もありますしね。

 

 

■ 弟

わたしの弟もわたしと同じ家庭で育ちましたから、わたしと同様にお金に細かくはあります。しかし、彼と比べたら、わたしの細かさなど知れている。雲泥のさがあります。

 

こんなことがありました。彼が結婚をする前のことですから、多分、二十代前半であったかと思われます。

 

わたしは、久しぶりに彼の下宿先に行き、暮らしぶりなどを話しておりました。彼は、わたしに缶ビールを出し、自分も空けて乾杯となりましたが、つまみがありません。周りを探すような視線のわたしに

『つまみならないよ』

とあっさり。

『あ、そうなの』

 

缶ビール買うのだったら、つまみくらい買って置いてもいいではないか。だいぶ前に行くと連絡していたのだから。などと思っても、それは無理というものである。彼は、まったく気が利かなくて出さないのではなく、ただ、お金に細かいがために、買って置かないだけであったからです。

 

 

■ 大捜索

しばらく、会話を交わして一段落がつきました。弟は、何やら領収書のようなものを財布から出すと、筆算で計算し始めました。計算機が、まだ日本の隅々まで行き渡っていない頃のことです。

 

どうも現金の出納帳(すいとうちょう)をつけているらしく、うんうんといいながら、計算をようやく終え、本日の出費の計算は終わりました。

 

そして、ボロボロになった布の財布からお金の有りっ丈を出して、数え始めました。

 

『一円足りん』

『え!』

『一円足りんぞお、おかしいな』

『一円?』

わたしは、まあそれ位ならなくてもいいではないかと思い、ちゃぶ台の皺くちゃの紙幣や、小銭を見るともなしに見ておりました。

 

『おい、ちょっと、そこどいてみろ』

というのです。わたしが席を立つと、薄汚れた座布団を引くり返し、かつ、はたいてみて、

 

『ない、ない、お前知らんかあー』

と、わたしにお鉢がまあってきました。わたしは、先ほど来たばかりなのに。

『わし、知らんがな、、、』

 

とうとう、その場では見つからないまま、話も途切れて御仕舞い。そのあとは、場は白け、弟は尚もあきらめが付かないのか、わたしの周りを嗅ぎまわる犬のように探していましたが、四畳半の部屋をどのように捜索したところで知れています。

 

 

■ 無くなったのではなく

バタバタとした結末は、本当に呆れます。一円の行方はなんと、彼の計算間違いであったのでした。それは、数日後、わたしが一泊の礼を言うために、再び彼に電話をした時に判明したことで、

『あ、あれな、すまん、計算間違いやった』

電話口で、弟がわずかにはにかんだようでした。

 

 

彼はそんなお金への細かさでも、今も変わらず私と同様にお金持ちではありません。