聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

初めてのキムチ

f:id:yukukawa-no-nagare:20200919072449j:plain

画像出典:Wikipedia

 

キムチといえば韓国の食べ物の代表格の一つで、日本でもいろいろなメーカーが少し日本人好みにアレンジして、売られています。スーパーの食品棚の漬物の一角に、結構な面積を占めているのを見かけます。

 

 

■ キムチを食べる時

我が家では年に数回でしょうか、キムチを買います。連休が続いて、外出の予定も殆どないような時が多いですね。何しろ、相当に匂いますから。食べてる人と、食べていない、仕事などで気になり、食べられない人が同じ屋根の下にいますと、不公平感がその匂いから強まります。

 

従って、連休などで勤めに出なくてもいい時くらいでしょうか。そのほかに焼き肉を食べに行った時も少し食することがあります。焼肉自体が大抵の場合に匂いますので、いまさらキムチを食べたところでという感があります。

 

 

■ キムチの思い出

ここからは、わたしのキムチの思い出です。

これは私が二十歳頃のことで四半世紀以上もの前のことになります。大阪市で四畳半のアパートでの一人住まいをしておりました。薄給につき自炊です。

 

近くに小さな食糧品店があって、大抵のものはそこで調達しておりました。今でいう一般的なコンビニ店くらいの広さの店内には、野菜だけでなく、ちょっとした日用品もありましたから、非常に重宝していました。

 

 

■ キムチを買う

わたしは、農家の出ですので、自家製の漬物が季節に合わせてよく出されました。したがって、漬物は好物ではないものの、食卓には常にあるのが当然の一品でした。

 

ある時、その食料品店で漬物を買おうとしたのですが、品切れとなっていました。

『漬物がないけど、品切れ?』

と、その店の店主の男性に聞きますと、

『あ、悪いね。さっき来た人が、多めに買ってった。今日は、売り切れだよ』

『これ、どうだい。キムチていうんだ。漬物だよ』

と店主。

『キムチ?』

わたしは、キムチという聞きなれない言葉の意味を理解しないまま、差し出されたそれを買いました。

 

これらの会話は、わたしのざっとした思い出の中からの創作で、相当な以前のことで細部はまるで覚えてはいません。

 

 

■ 最近の漬物

日本の漬物は、最近のスーパーでは、洗わないでもすぐ食べられるものを見かけます。パッケージには、「洗わないで、このままお召し上がりください」と書かれていたりします。たとえ洗って食べる場合で、「軽く洗ってお召し上がりください」という風に書かれていたりします。

 

時世の違いでしょうか。

 

昔は、漬物は殆どの場合洗って食べることが多かったのですが。

 

 

■ キムチを洗って食べる

わたしは、買って帰ったキムチを当然のように洗って食べました。洗ってしまうと、赤みのかかった薄いやけに綺麗な白菜になってしまいます。匂いもほんのりとしかしません。わたしは、それに、調味料と醤油をかけて食べておりました。長らく、長らく。

 

しかし、キムチはそのまま食べるものであると知ったのは、数人の知人との会食の時でした。あるいは、飲み会だったのかも知れません。その時、誰かがキムチを注文したのです。

 

『えー、あんな臭いもん、よく食べるなあ』

と誰かが言いました。その頃は、キムチは今ほどの認知度はありませんでしたから、これを食べる人も少数派でした。

 

わたしは、

『おいしいけどなあ、まあ、食べてみたら』

と、自信ありげに勧めたものでした。

 

 

■ キムチがまんまの形で出される

注文したキムチが、運ばれてテーブルに置かれました。

わたしは、びっくりして、

『洗ってないぞ』

という言葉がひとりで口を衝いて出てしましました。

 

そうすると、注文した知人が

『おまえ、あほか。キムチはふつうこのまま食べるだろうが?』

『え、洗わないの?このまま、、、』

と絶句してしまいました。

 

周囲から一斉に笑いが出て、わたしは多分、茹蛸(ゆでだこ)のようになったと思います。顔から火が出たかもしれません。

 

 

キムチを食べる時、今でも当時のことを思い出して、ひとり笑いがこみあげてくることがあります。