聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

犬食いとは

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画像出典:pee-ka-boo

 

「犬食い」とは、何も犬を食べる食習慣のことではありません。

 

「犬食い」を辞書で引きますと、

食器を持たず、おいたまま、覗き込むようにして食べること」

「食べ終わるまで一度も顔をあげないこと

 

ということになります。犬は前足と後ろ足があり、手がないので食器を持つことは出来ません。もともと不可能なのに勝手に人間が名付けるなんて、犬にとって迷惑な言い方ですね。しかしまあ、犬の食べ方は猛烈でガツガツとしていて、人間が真似るものではありませんが。

 

 

■ 人間でも

しかし、人が若いときには、とにかく腹が空きます。なぜあれ程の腹がすくのか?

成長中だから、あるいはそうした家庭の育ちだからでしょうか。ついつい、犬食いのようにしてガツガツと食べてしまいます。

 

若い時は、いつも何につけても何かじっとしていられない気がしています。それが異性への思いであったり、ずっしりと重い将来への不安であったり、どこかに逃げ出したいのにそれが出来ないという思いがあったりします。

 

また、欲しいものが手に入らない、という欲求が満たされていないという不満が入り交じり、まるで走馬灯のように目まぐるしく脳裏を駆け巡って、落ち着かないのです。しかもどれもあきらめきれないものばかり。

 

そうすると、特に体を動かさなくても、間違いなく腹は減ります。

 

それでガツガツ食べるのですが、精神的に落ち着かないのでそれ程太りません。(太る人もいます)

 

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画像出典:ドラゴンボール

 

 ■ 犬食い

お隣の国、韓国や中国の一部では、このタイトルとは主旨が違いますが、実際に犬を食べるそうです。そういう古来よりの風習があるわけです。しかし、韓国や中国以外の国からは相当な非難を受けて、その食習慣というか食文化は風前の灯というところまで追いやられています。これに反発して、気勢を上げる集団も残ってはいます。

 

食文化は、国によって特異なものもあるので、何が何でもと一方的に非難できない面もありますが、犬は身近な動物だけに、理解を得ることはなかなか難しい。やがては消えゆく運命にあることは間違いないでしょう。

 

 

■ 犬食いは育ちが知れれる

犬食いのような食べ方は、わたしの少年の時代にはあり得ませんでした。わたしの家では、父の前に兄、わたし、弟が正座し、それぞれに自前(じまえ)の膳が水屋にあり、それを母または祖母が用意をしますと、一斉に

『頂きます』

と手を合わせて、食べ始めるのですが、何かをつかみ損ねて畳の上に落とすと、

 

『拾え!』

と命じられ、それが二回続くと、げんこつが下ったものです。冬場に食事中に洟をすすることがあっても同じことが起きました。もしくは頬を平手打ち。

 

ですから、食事時は少しも嬉しくなく、早々に食べてしまうのが常でした。

 

このありさまでしたから、犬食いのようにご飯の入った碗を持たずに食べることはあり得ませんでしたし、食べ終わるまで、正座ですので顔を上げずに食べることもなかったですね。

 

食事が終わると、各々が膳に食器や箸を仕舞い、また手を合わせて

『ごちそうさまでした』

と声高らかに言って、座を下がるのです。大抵の場合、最後まで父が座っていて、終わりに来ると、母と祖母が膳の箸を取るといった塩梅でした。

 

 

■ 今は

今は、あの時の父はもうこの世に居ず、晩年は打って変わって優しかったことと厳しかった子供の頃の思い出が交差して思い出されます。

 

わたしといえば、今は犬食いで、多くの人との食事会でも常に上位に入る速さを誇っています。

 

妻が、それを嫌がります。

私は、

『早飯(はやめし)、早糞(はやぐそ)も芸の内(げいのうち)といって日本では早いほどいいんだ』

と訳の分からない講釈をして、批判をかわしています。

 

妻は、

『アホかー』