カケスがトラップ(わな)に掛かかったことがあります。それは遥かに遠い、わたしが子供の頃のことでありました。わたし達の村では籠の中に、野鳥を無傷で生け捕り出来る仕掛けを「ヵチャリン」と呼んでいて、その頃の同世代の中では流行りだったのです。
今では、野鳥のそのような捕獲は許可なく出来ませんが、その頃においては可能であったのです。
■ 大雪の年
稀にみる大雪の年がありました。
食べ物に不自由を来した野鳥が普段ではありえないこの非常時にあって、何度もこの罠に落ちることがありました。わたしが捕らえた多くの野鳥のうちの一羽に「カケス」がいました。平年であれば、スズメやハト以外の野鳥の捕獲は、一羽ですら捕獲は困難でありました。
カケスはその容姿とは裏腹に、
「ギャァ! ギャァ!」
とまるで、虐待を受けているカラスのような鳴き声を上げて鳴くのが、大きな、しかしただ一つの欠点でありました。違う鳴き声であるとの指摘もありますが、少なくともわたしにはそう聞こえた。
カケス
鳥綱スズメ目カラス科カケス属に分類される鳥である。日本においては全国の平地、山地の森林に生息する。繁殖期は縄張りを形成する。
食性は雑食で昆虫類が主食だが果実、種子等も食べる。他の小鳥のひなを食べることもある。また信州・美濃地方では「カシドリ」の異名もありカシ、ナラ、クリの実を地面や樹皮の間等の一定の場所に蓄える習性がある。冬は木の実が主食となり、蓄えたそれらの実を食べて冬を越す。(Wikipedia)
■ カケスを飼ってみることに
わたしは、カケスの美しさに惹かれました。今日のようにきれいな鳥がペットショップで売られている時代ではありません。当時のわたしが知る最も美しい鳥でありました。
木製のミカン箱の蓋に当たる部分の一部を、金網に造り替えて、巣箱としました。止まり木も缶詰の空き缶の餌箱や水入れも用意しました。しかし、怯えて狭い巣箱でバタバタと羽ばたき、食べ物を啄(ついば)むことをしません。
「このままでは、食べず衰弱して死んでしまうかも知れない」
とか、
「うるさいから離してやれ」
という家族からなじられても、わたしは頑なに受け入れませんでした。
■ 食べ物を食べるようになる
しかし、当時我が家では鶏を多数飼っており、餌に不自由はありません。それが気に入ったのか、二日目には、辺りにまき散らしながらも餌を食べた様子がうかがえました。
やがては、相変わらずの奇異な鳴き声は無論変りはしませんが、わたしが近づいても怯えなくなりました。
■ 一年の後
一年が過ぎたころには、カケスはすっかり懐(なつ)いていて、
『もう、放しても飼い鳩のように巣箱に戻るかも知れない』
そうわたしは考えました。
そして、ある春の朝
『放してみよう』
と、ひとり決心をしました。子供のわたしには、大きな賭けでありました。
『戻って来なかったらどうしよう』
と心は揺らぎます。しかし、ここまで飼え続けてこれたことに満足もありまた、野鳥の世話を続けることにも、飽きがきてもいました。たとい巣箱に戻ることがないとしても、それはそれでよい、、、
■ 放鳥
決心して、巣箱の戸を開いてみました。カケスは出てきません。わたしの行為を計りかねているようでした。わたしは手を入れてカケス取り出し、
『帰って来いよ』
と言って離しました。
カケスは、あの不気味な鳴き声でわたしの家の屋根の棟に一旦は止まり、その上に多い被さるような枝が伸びている梅の木に移って、
「ギャァ」
と鳴いて見えなくなりました。それっきりの別れでありました。
わたしは、少しも悲しくなかったし、裏切られたとも思わなかった。あまりのあっけない別れがわたしを圧倒していたからかも知れません。