聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

一万円落とした話

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画像出典:島根県警

 

独身のころ、京都市の東側よりにあって、南北に貫く鴨川沿いに住まっていました。

天候の良い日には、多くの人が川沿いに繰り出し、とても賑やかです。要所にはこれを目当ての移動販売車も出たりもしていました。

 

彼女もいないわたしでも、余りに良い天気には、じっとして居られず川沿いの河川敷にでて、ボーとしていることがありました。

 

■ 財布を持たない

わたしは、結婚するまでは財布というものを持ったことがありませんでした。かさばるのが嫌なのが一番の理由ですが、わたしの若い頃には、かなりの多くの男性がカバンとか財布を持って歩かないような風潮の時でしたので、わたしが特別に変わっていた訳ではありません。

 

■ お金はポケットに詰め込む

従って、お札(さつ)はズボンのポケットに押し込むようにして入れていましたので、何かの支払いの時は、くしゃくしゃのお札の皺を伸ばしながらとなったものです。わたしは若かったし、美男?でしたので、受け取る女性も厭がる風でもありませんでした。

 

■ 1万円落とす

ところが、財布があればあるいは、落とすことも無かったと思えることがありました。それが、冒頭の京都市内の東側を流れる鴨川(かもがわ)に出掛けた時の事でした。わたしは、財布を持たないことから、釣銭を受け取っても大きな缶に放り込んで使わず札だけをもち歩いていました。

 

で、この日もそうだったのです。

ボーとしていて、さあ帰ろうとしてポケットに手を突っ込みました。すると、入れたはずの1万円札がありません。ポケットを引っ張り出して、ゴミまで出しましたが、見当たりません。座っていた当たりの草むらにも見当たりません。

 

いつの間にか落としたのか。河川敷では、幾度か場所を変えたので、そのいずれかかも知れません。思いを記録映画のように巻き戻して、ここに来てからのわたしの行動の一部始終を再生して探しても見当たりません。

 

■ 陽が落ちる

そうこうしているうちに陽が落ちる時刻になり、わたしの捜索は夜にも及びそうになり、家にはない懐中電灯を買いに走りました。それが整った時には、わたしのいた河川敷には人もおらず、夕闇があたりを領していました。

 

そこでの捜索再開です。風で飛んだのかも知れないと思い捜索周囲を50メートル拡大してみましたが、とうとう発見に及びませんでした。諦めきれない気持ちで、帰宅しどれ程悔やんだことでしょう。結局、普段の生活で殆ど利用しない懐中電灯まで出費したのに。

 

■ お金は拾った人の物

お金は、持参している人のものであると言えます。それが盗まれたとはっきり証明できる場合を除いてです。わたしの場合、誰かが拾ってその人の財布に入ったとしても、それはわたしの落としたものであると、証明できなければその人の物であります。

 

従って、わたしは泣く泣く諦めました。