画像出典:キャリアピックス
誰でも、先導者や先輩が居て口やかましく叱られたりアドバイスされたりすることには、相当な抵抗があります。しかし、それもそれを言われている内が花というものです。
『叱られなくなったら、お仕舞。叱られている内に成長しなければそれすらもなくなる』
とよく言われたものです。これは正しいでしょう、たぶん。
確かに30歳を過ぎても叱られているのは、単に成長せよという暗示ではありません。今の職には向いては居ないぞ、転職したら?辞めてくれないかな、ということかをにおわせているのかも知れません。
そうなると、もっと若い内、せいぜい30歳未満で叱られているのは花でしょうが、叱られている歳にははそれ程の年月の幅はありませんね。
『アイツには何を言ってもアカン』
と言われるようになると、注意もされなくなります。これは、それまで口やかましく言われて来た身には、瘧(おこり)が落ちたようで、何か開放された感があります。しかし、その時になって、叱ってくれたり、アドバイスしてくれた人のありがたみが解り始める時でもあります。
■ 自らが痛い目に
誰からも叱られたり注意されなくなる時、その人の本当の試練が始まる時であります。あの時に人がわたしを叱ってくれたことは、正しかった。その言葉を受け止めて、従って置けば、このような苦境に立たされることもなかった、、、
『だから言わんこっちゃない』
と、陰で言われることとなるでしょう。わたしがそうでした。
しかし、人のアドバイスを聴かず自らが招き、自らが陥った苦境には後悔もないわけではありませんが、納得は出来ます。自らが正しいと思う道を、歩んで行って間違っていたとしても、わたしはわたしの歩んできた道を、また歩んでいく道を変えることは、わたしが得心してからでないと出来ないのです。
人から諭された道を歩んでも、最後まで導いてくれる訳もなし、自分の思う道を歩んでいくのが結局、いいのではないでしょうか。