車とか服装やそれに伴うバッグ、時計など高級品はいくらでもあります。ピンからキリまであります。
わたしの子や妻、あるいは友人や親類などの中にも、高級品を持ちたがります。フランスやアメリカ、イタリアなど有名ブランドが安いと思えば、それ程の苦もなしに買います。わたしは、生まれが貧しかったせいか、そういうブランドものを欲しいとは少しも思わない。
「いいものは、高い。しかし、いいものはいい」
とか彼らは言っています。それは確かにその通りで、わたしのような姿や形がちょっと良ければ、それでそれ程吟味もせずに買ってしまうのとは、だいぶんに違っています。価格と造り、ブランド力を念入りに検討し、あきれる位に長考した挙句に、懐具合と照合の末大枚をはたくと言った塩梅です。
■ 安物買いの銭失い
確かに、安い物には安いだけの理由があります。その逆も然りでありましょう。しかし、ブランドものの高級バッグを持ったとしても、服装や装飾品、靴などにもそれなりに統一性がないと、バランスがとれません。
すると、どうしてもあれもこれもとブランド品志向になることになります。それも結構お金の工面が大変かとおもう。それに、つける人の品性も大切かも知れない。そう思うと、思い出したように買ってみようと思う気持ちは即座に萎えて、
『もう、ええわ』
と思うのです。
■ そこそこの物
そこで、まあブランド品とまではいかないでも、それなりにしっかりとしたいいものを持てばいいかなと思うのですが、わたしはそれさえもそれほどこだわらない。旅行に行った先で出歩く時のバッグがあればいいなあ、と思えばどこかのスーパーのカバン売場でそれ程に見てくれが悪いのでなければ、それでいいのです。
要は、機能的に問題がなければ、何も気にならない。
そのバッグが買えた、自分のものとなり実際に使えるのだったら、それだけでわたしは満足してしまう。それは、遠い子供の頃に欲しくても買って貰えずに、恨めし気に見ていたころの記憶に結びついていて、その頃は、人が持っている同じものでなくても、取り敢えずはそれなりに機能や見てくれが整って居れば、買って貰えただけで満足していた気持ちと変わらないのです。
妻や子を載せて、アウトレットモールで車の中で時間つぶしをしている時にも、
『あの店の数々にどんな夢があるのだろう』
と不思議でならない。
『安上がりな人』
と妻はいつも少し蔑んだ目で笑う。