聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

放置自転車の籠の中

画像出典:mbs



誰かの通報があるのか、最近は長い期間放置された路上の自転車を見かけることが少なくなりましたね。どうして放置されているのか?理由はいくつか考えられる。

第一の理由に、どこかから場当たり的に失敬して来て、用済みで放置されたままであるという場合です。

第二の理由に、放置自転車となるに持ち主が病気や怪我などの相応の理由がある場合です。

その他にも、捨てる手続きが面倒で置いて行ったとか、誰かが持って言って呉れることを期待しての事からかも知れません。

 

■ 自転車の籠

放置自転車に籠(かご)ついていないものもありますが、付いているもの場合は数日はその籠は綺麗なままです。単に取りに来ていないだけかも知れない、と見た人が想うからでしょうか。また、籠に何かを放り入れて、取りに来た持ち主に咎められる事もあるかも知れない、ということもあるでしょう。

 

しかし、5-6日も経つと、その懸念はほぼ無くなる。

従って、通りがかりの誰かがその場で不要になった物の処分に窮している時、まさに放置自転車の籠は、天啓の様に見えてつい放り投げてしまう。

それは飲みほした缶ジュースやペットボトルであったりします。最初の内は放り投げるというより、こっそりと置くと言った方が正しいかも知れない。しかし、置かれるものには、不思議に腐って悪臭が立ち込めるというような食品類は見たことがありません。

 

わたしにも、置く側の者としてその経験があります。その最初の一人目であった場合もありましたが、凡そ籠の半分くらいにゴミで埋まっている時の方が捨てやすいので、その場合が多かった。この時は、最初の一人である時よりぞんざいになるものです。

 

最初は、わたしの置いた空き缶一本だったものが、数日でいろいろな物が置かれて凡そ、半分程度までになります。

この後はゴミの増え方は加速して一挙にてんこ盛りになるのですが、そこまでに至るには二週間は有ります。そのあとも捨てる人は後を絶たず、籠の中は小高い丘の様になって、丘の頂部には最早何も置けない程にもなる。

こうなると、何気にちょいと空き缶を置こうとして失敗して、地面に落ちるという始末になり、その気まずさに拾いもせずに通り過ぎて行く人もいます。

 

そういう人も一人や二人ではないらしく、自転車の周辺には空き缶やペットボトルがいくつも落ちていたりする。これ以上置けないところに、積み木ゲームよろしく積み上げに失敗し、他の物も一緒に落とすという愚に至ることもあるかも知れない。

 

■ いつの間にか撤去

しかし、こうなると如何とも見苦しく放置できなくなって、恐らくは放置自転車の近所の人が公的機関に連絡したのでしょうか。ある日それは忽然と無くなっています。それを見て、最初にゴミ箱として捨てたわたしは、多少の呵責から解放されて何かほっとしてしまう。