愛する勇気があるものには、必ず苦しむ勇気もある(トロロープ)
宮家の女性と一般男性の恋は、何故か切なく響いてこないのは、時代のせいでしょうか。「ローマの休日」でなくとも上皇夫妻のような羨ましさの思いが馳せないのは、恐らく、今のあまりに開放が過ぎたメディアのせいかも知れませんね。
今の世界では、凡そ謎のようなものは巨万の富を持つ人の私生活くらいで、一般庶民にはプライバシーの主張は通じません。勿論、わたしのような一般人が明け透けに、社会に露出しないのはメディアに追い回される程の何かを持ち合わせていないからに過ぎません。
出るとしたら、重大事故や犯罪の主因者となった時くらいであろうかと思います。それ以外では飛びぬけた才能がないことが、平穏で無事な生活を送れている理由でもあります。良くも悪くも。
■ 昭和の恋さながら
しかし、今話題の宮家と一般男性の恋が苦難の末結ばれたことは良かったかどうかは、これからの話ですが、ここはお祝い申し上げたい。ただお二人は6年もの間、まるで生き別れの様にあって居なかったせいもあるでしょうが、恋心は募りに募ったことでありましょう。今の時代にそのような、昭和の時代のようなことは、まずはありませんので、お二人が興味本位に注目されるのも致し方ないかも知れません。
『放って置いて』
とお二人は怒っているかもしれませんが。
まさにその四面楚歌のような二人の状況が、二人を結束させたのかも知れません。
■ しかし、
しかし、このようにして結ばれし二人も、同じ人間なら
「遂がわば何の恋の味」ということにならねば良いのですが。「二人が愛し合えば、ハッピーエンドなどあり得ない」(アーネスト・ヘミングウェイ)とならねば良いのですが。