聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

山のあなたのなお遠く・・・

画像出典:YouTube 山のあなた


実家のある山間(やまあい)の村に高い山があります。そしてそれは当然に今もある。その山を村の人は「空山(そらやま)」と呼んでいました。命名の所以を知りませんが、恐らくは空に聳(そび)える村一番高い山であったからでありましょう。

わたしの家はその山の裾野を一部切り取った位置あって、前の畑に出て振り返ると、まるで覆い被さる様な山の威圧を感じます。

 

その山頂に登れば、どんな視界が広がっているだろうか?わたしは、中学生であった頃にそんな気持ちをいつも持ち続けていました。

 

山から見える遠くにはどんな人の生活があって、どれ程かの明るくて幸せな暮らしがあるのであろうか?わたしは、わたしのその頃の生活に辟易していて、そこに行けばきっといい生活があるのではないか。子供ながらにこの漠然とした叶う事のない思いに駆られていました。

 

母は、病気で入退院を繰り返しており、治療費や生活費の工面に父は苛立ち、祖母や子供にも当るということが、殆ど毎日のように続いていました。わたしは、父母の言い分が子供ながらの理解はしていましたが、どうすることも出来ません。ただ、一刻も早くその諍(いさか)いの日々から逃れたいとだけ念じ続けていました。

 

■ 秋の深い日に

秋が深まる11月のある日、その山に登ってみました。その季節にしたのは、落葉で見通しが効き、虫に悩まされることも無いと考えたからです。当時のわたしは中学生と若く、殆ど汗らしいものもかくことも無く、またほとんど休むことなく上っていきました。

頂上に達すると、わたしはすぐさま周りを見渡しました。

 

眼下にはわたしの住む村の一部だけが見え、蛇行した川とそれに沿った道が所々に見えました。頭をもたげると、その遠景には、幾つも山が無数に重なり合い、少し青味がかって遥かに見えています。そしてそれはそれ程には遠くないであろう距離にはすでにぼやけて、その上の空と一体の色合いとなり溶け合っているようでした。

 

それは、晴天にあったその日ですらそのようでしたので、それ以上の景色を別の日に臨むことも叶わいと思えた。それは、美しくはあったけれども、そこに「幸いが」「住む」とはとても思えなかったのでした。

 

わたしは裏切られた気持ちになってすぐさま下山しました。陽は西に傾いて少し肌寒さも感じる程でした。

 

ブッセの「山のあなたのなお遠く 幸い住むと人のいう、、、山のあなたのなおとおく、、、」

ただなんだか寂しかった。こみ上げる涙で口ずさんでいました。