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わたしの故郷の隣家は村一番の素封家でした。わたしが幼いころから、何かにつけてお金には圧倒的に優越していて、当時の我が家は、その権勢に半ば恐れ半ば嫉みを持ち続けていました。そして、それはわたしが社会に出て働き始める頃に至っても少しも揺るぎないものでした。
働き始めて十数年の後、隣家の長男の嫁が、息子の高校の登校に遅れたのを送るために載せて走らせた車は、センターラインをオーバーして対向車の大型トラックと正面衝突。二人は帰らぬ人となった。
その頃から、隣家の様子に変化が出るようになりました。父親は塞ぎこむようになり、妻を失った息子は、妻の多額の生命保険を手にして、放蕩に耽り、そのすべてを数年の裡に失ったばかりか、田畑を抵当に入れてしまうに至ったのでした。
母親は痴呆症となり、遠く離れた大阪の介護施設へと去りって長男は、昨年肺がんで他界し、大きな屋敷は主を無くして、いまはガランとしています。人の世の栄枯盛衰の典型のような歴史を刻んで、今は朽ちて行きつつあるのです。
こんな日が来ると誰が想像したでしょう。
一家の盛衰など本当に分からないもので、屋敷の横に大きな白壁の土蔵が半ば剥げ落ちても威厳を残して佇んでいるのが、痛ましい程です。
その中に、わたしが子供の頃に聞かされた数々の財宝が眠っているのでしょうか?それとも妻の生命保険を使い果たし、田畑や山林を抵当に入れてまで放蕩した長男が、処分したでしょうか?今となっては知りようもありません。
しかし、隣家には長男の外に娘が二人いて、嫁いで遠く都会の中に住んでいます。
過日、そのうちの姉に故郷の庭先で偶然にも出会うことがありました。それは、何十年も前に刻んだわたしの記憶の中の人とは凡そかけ離れて、我が目を疑うばかりに老い変わり果てていました。
その姉にも一言では語り尽くせない人生があったのでしょう。
わたしの前で、
『この、家を処分するしかないですよね』
意見を求めるかのようにわたしを見ていった時、危うくわたしは
『蔵の中は見ましたか』
と尋ねたい衝動を抑えるの難儀した。
それと同時に、あの倉に今でも、わたしの父から聞かされた財宝は、今も唸りを上げて暗黒の裡に埋まっているのでしょうか?