年末の面倒な行事
今年も早師走となって、何かと気ぜわしい気分になる。それが嫌で出来るだけ行事を詰めないようにしているが、年賀状は用意しなければならない。
わたしは、年賀用仕舞いをしてもいいかなと思っている。それでもどうしてもという親戚やら長い付き合いの人には、終われないが、出すとしても枚数は20枚に満たない。あて名は手書きで、文面はコンビニやスーパーのものでいいと思う。
ところが、妻は結婚してから今日まで、殆ど減がない。
わたしの意見には不同意である。それで、文面の選定の用意から、印刷まで請け負わなければならい。妻はパソコンが触ったことが殆ど無い。従ってわたしは下請けでやることになるが、面倒以外に得るものはない。出来ないという事実は頑として動かないので余計に腹立たしい。
プリンターの設定も例年と同じはずなのにズレて、郵便番号の四角の枠にうまく収まらない。100円ショップで買ってきたため試刷り用の年賀の郵便番号枠と、市販の年賀状の枠が微妙にずれたりして、調整が面倒。今はやりのAIソフトが「おまかせあれ」と言って呉れたらいいのにとぼやきたくなる。
差出人の文字がどうの、ズレがどうのと細かいところまでブツブツ言う。そんなら妻がやればいいじゃあないかと放り出したくなるが、それは言えない。怖いから。
まあ、年末の大行事と言ってわたしにはこれである。
渡る世間は鬼ばかり
「渡る世間に鬼はなし」は有名な金言だ。また、”渡る世間は鬼ばかり”は有名なドラマ名である。ある特殊な事情や環境にあってはこの有名な金言は生きている。
ある困難な状況で思いもしない人から助けられた、生きる勇気を与えて貰えた。という話は、度々耳にする。
しかし、日々の平凡な暮らしにあっては、後者が多い。
つまり”渡る世間は鬼ばかり”である。
わたしたちは自分の優位性や自己顕示欲のために、高級車や有名ブランドのバッグや時計、洋服類などを持つ。
確かに、それを見た人は、
『おお、すごい』
とか
『かっこいい!』といってくれるだろう。
しかし、その時だけでおしまいである。実際のところ、他人が裕福(でなくても)で高級車に乗っていても、高級なものを身に着けていてもそれは、それを持っている本人程には関心がない。一時(いっとき)の称賛や羨望はすぐさま雲散霧消(うんさんむしょう)となってしまう。
むしろ、他人の裕福さへの関心よりも、その人達の不幸の方に関心があるだけである。そして、裕福そうな人への不幸には心から同情し得るものである。それは、同情というより、溜飲を下げるといったほうがより適切ではあるが。
喧嘩の最上な方法
喧嘩で勝つ方法で最も優れているのは、口だけで勝つことである。
しかし、勝つことなく逃げるに越したことはない、または、たとえ戦って負けても良いのは相手の顔色次第である。
喧嘩をして殴り合いに至るまでに相手の顔が、怒りの為に赤くなる人は謝れば良いが、顔から血の気が失せる人には、謝るほかに逃げた方がよい。忘年会など酒を飲んだ時には特に観察して、相手の言動をみきわめたい。
血の気が引いた人は、頭から思考を巡らす血が引いており、怒りだけになっていると考えられるからである。
それによって、自制心が失われていることが多いからだ。こういう人はよく見て来た。自制心が失われると、誰かが停めない限り相手への暴力や罵詈雑言を留めることは殆ど無い。
しかし、人間以外の生きものの中には、争うことなく欲しい物があってもあきらめて逃げるものも多くいる。それが最上の方法であるのかも知れない。
ただそういう弱者であっても、我が子を守るためには捨て身に近い攻撃をする。それでも叶わないことがある。それでも、人間に於いてもそうあるべきだ。
わたしもそのタイプで、元憲兵であったという人がこう指摘した。
『聖護院くんはムカッと来ると、顔色がさっと変わるね。この子はこわいよ。だが、そういう子が俺は好きだがな』
一年が速く過ぎる理由
一年が過ぎるのは、速いと感ずる。早いより速い。
そしてまた、速いというよりせわしない、という方が適切かもしれない。
それらの理由が何から生じているのかを深く考えた事は無かったが、その答えの一つをスーパーで見つけた。
昨日スーパーに行くと、クリスマスケーキの予約受付や至るところに飾り付けがあった。この飾りつけは、もう10日以上も前に見ていたものだ。
その上、既に新年の為のしめ縄が並べられていた。
『まだ、早かあないか?』
と、口をついてひとり言が出てしまった。
そして、正月の三が日が過ぎると、即座に節分のセールが始まる。その次は節句という訳だ。それらを見ると、何かせわしない気になる。
その他にも、一年を気忙(きぜわ)しくするものに、公共料金、税金の支払いがあり、その上、親戚、友人などのお祝いへの出費もある。それらのへの心理的な負担が月日の経つのを速いと感じさせるに追い打ちをかけて来る気がするのであろかとおもう。
こうやって、何かに急(せ)かされていつの間にか、いい歳になってしまう。気が付いたらオッサン以上になっていた、、、
しかし、それでもいいのかも知れない。
パソコン1台に2台のモニターを使うと超便利。(動画あり)
1台のパソコンに2台のモニターを繋げて利用すると、非常に便利で快適である。
これをデュアルモニターという。デュアルディスプレイともいい、デュアルは二重の意味である。
モニターは中古の良品で1万円程度でネットで購入できる。
1台でネットの画面、2台目にエクセルを開いて見比べながら入力も出来たり、エクセルの画面を左右に開いて、相互の違いを見比べられたりできる。
又、YouTubeを見ながら、ネットゲームや文章を書いたりも出来る。
マウスも1台めと2台め特別な操作なしに行き来出来るし、マウス操作も今使っているもの一つで行える。
株をやっている人なら、株の取引きの複数の画面を左右に並べて見れば、1台のパソコンの画面を切り替える手間が無くて非常に便利。
是非お勧めする。設定などは動画を張って置くので参考にしてほしい。わたしは下の動画を見て利用し始めた。
平穏な将来予想の見通しの脚を引っ張るもの(動画あり)
40歳代の前半に辿り着くと、将来の自分の地位や収入の総額、預貯金などの金融資産の総額などが、凡に於いて目途が付くものである。そして同時に、その時に将来の生活の程度の見当がつく。
「何とかこの調子で行けば、生活は豊かでないけれど、やっていけるだろう」
と思えるものだ。
「家のローンや子供の学業の資金も何とか、夫婦で稼げば何とかなる」
しかし、ここにはその時点で見通せるシナリオ通りに行かないかも知れない、という不安が漠然とある。それは、意識下にあるなしに関わらず、自身や家族の病気や怪我についてである。その範疇には両親や兄弟が入っているかも知れない。
それまで、病気という程のものを経験してこなくとも、ある日突然に体調に変調が出るものである。それが、目であったり、喉や手足であったりする。また、思わぬところで怪我をすることもある。これは殆どの人が避けて通ることが出来ない事実だ。
その事実は、平穏無事な将来の生活の見通しをへし折る。
病気の外にも住まいの修繕費や勤務先の倒産や解雇なども予期せぬ誤算である。
その時が来てもある程度は心の余裕が持てるように公的年金や個人年金、そして多少の貯蓄をしておくことが、悲惨な人生の後半にならないための一つの方法であると考える。
下に、テレビの「調べて見たら」の動画を載せて置くので、参考にして欲しい。この番組はYoutubeでの配信がおおく、年金生活に関しては非常に多いので役に立つだろう。
鼻毛
鼻毛の処理は男女を問わず、面倒なものではある。が、さりとて放って置くことも出来ない。自身の細い鼻毛が鼻辺りをしきりにくすぐったりする。そこで、鼻毛を鼻孔の中に追いやるように、しかし、いかにも鼻毛が気になるというのを、他の人に察知されないように人差し指で探って見たりする。それで解決できれば、当分の間は気にしなくて良いというものだ。
たた、それでも解決しないし、鏡を見られない状況にあると、ひょっとすると、とんでも剛毛が鼻孔から覗いているかも知れない、、、想像が膨らんで何やら無性に気になりだすし、顔を上げているのつらくなったりする。
という訳で、一人なら直ぐに鏡を見れば確認出来たり、ハサミで切ったり手で引き抜くというような荒業も可能だ。しかし、出先では少なくとも人前ではそのような、実に見苦しい行為はとても出来ない。
さりとて、放って置くわけにもいかないので、トイレの個室ブースや人のいないところで、実際のどういう状況なのか確認することになるのは至極当然の成り行きである。
もし、オッサンの鼻毛なら、それを見た女性陣からは
「まあ、不潔」
と、口に出されはしないものの、思われてそれっきり心が離散するかも知れない。このようなケースでは殆が男性である。百年の恋も冷めてしまうかも知れない一大事である。
■ 得意先の女性上司
それで思い出すのが、得意先の女性上司である。わたしはその女性上司と相手先の事務所の一室で会合した。
颯爽としたやり手で頭も切れる女性であった。何回目かの会合でその女性の右の鼻孔からそれはそれは剛毛が一本出ている事があった。
わたしはびっくりしもしたが、それは実に滑稽でもあった。哄笑が沸き上がり抑えるのに会合の内容を殆ど記憶できなかった。
このようなことは想定外であったのはその女性上司であっても、同じだろうが、その後どうなったかは分からない。自身で気が付いて最小限の拡散に収まったか、指摘を受けたのか、、、
新型コロナはピークを越した
厚労省が9月中旬の全国の一週間に新型コロナ罹患者数が5.42万人と少しであったと発表した。
その報告の中で、新型コロナの最近の流行が、ピークが超えたと考えられるという。
思うに、インフルエンザには触れられていなかったが、その分インフルエンザが勢力を伸ばしてきているのではないかと思ったりする。実態は分からないが。
どちらでも罹患したくないが、個人的には予防注射後の発熱のないインフルの方がよい。
ただ、インフルエンザ治療薬のタミフルでその副作用でか、突発的な異常行動をとる人もいるので、結局の処、どちらも予防接種と罹患に対する予防が大切だろう。
マスクは、最近うっかり掛けるのを忘れたり、相当に疲弊したぐにゃぐにゃのを使い回したりしているが、良くはないだろう。