『みんなが持っている』の子の言葉に親は弱い
これは、わたしの娘が中学生に入ったばかりの頃の約10年と少し前の話です。
夕食後のテーブルで娘は急に真顔になって
『お父さん。携帯電話欲しい』
と言い出しました。わたしは、受け流す積もりでいましたので、
『ああ、そのうちに買ってやるから』
と、にべなく要求を遮断しようとしました。わたしの心の中には、中学生になったばかりで、携帯電話がそれ程必要なものとは、その時には到底思えなかったのです。
すると、娘の大きな目がにわかに掻き曇り、みるみる潤みポロポロと大粒の涙が頬を流れ落ちました。そして涙声ながらに、
『だって、みんな持ってるもん』
この涙の訴えに、内心私はうろたえました。
おそらく、みんながみんな持ってはいなかったでしょう。実際に持っていない娘の友人もいることを知っていましたから。多分、娘にすれば親しい友人たちと話すとき、携帯電話の話が出ると、その会話に寄れなかったのが、悔しくもあり、悲しかったのでしょう。
『そんなもの持っても、使うことって殆どないだろうが?』とわたし。
『・・・』
見ると、涙だらけの顔が歪んで嗚咽(おえつ)を抑えています。
■ 我が身を振り返ってみれば
振り返ってみれば、わたしが子供の頃にも同じようなことは幾度となくありました。そして、その望みは殆ど叶うことはありませんでした。
一度だけ、
『みんな持っている』
と嘘を言って買ってもらったものがあります。ジャックナイフでした。ジャックナイフは二つに折り畳みできるナイフのことで、実際に鉛筆を削るのに必要でしたが、わたしが望んだものは、少し高価ではありました。
しかし、その時は家の苦境も親の心も知らずのわたしでしたが、それ以外には望んで買ってもらえたものの記憶は残っていません。
『なんで、俺の家だけこんなに貧乏なんだ?!』
一生懸命に働いても、豊かになり得なかった両親を恨むことさえありました。
■ せめて子供には
せめて子供には、そんな苦痛を味わわせたくはない、と思いながら一方では、自分が買ってもらえなかった種々のものも、本当はそう必要でもなかったと思うことが殆どです。しかし、親が思うものの道理を、押し付けても、事実を指摘しても子供は納得しません。
ただ々、「みんなが持っているものが欲しいだけ」なのですから。
■ 結局
娘の視線を痛く感じながら、思い悩んだ末に
『母さん。買ってやろうか。みんなが持ってるんだったら』
娘の横で黙って聞いていた妻に、わたしはそう言うほかありませんでした。娘にたとえ買ったものが十分に利用されなかったとしても、そう必要と思えなかっても
『みんなが持ってる』
を、
『そんなもの、いらん』
とは、親としてなかなか言えないものです。娘が携帯電話の話に寄れず、寂しくその横にたたずんでいる姿を思い浮かべると尚更です。
無口な妻は娘に『よかったね』といったきりでした。
それから、瞬く間に中学生の間で携帯電話は普及したものです。