この頃の若い人は、演歌など歌わないのでしょう?。昭和の生まれで、演歌が華やかかりし頃が青春のわたしには、なじみ深いものです。
■ 演歌は景気の良い時に流行る
演歌は、市中の景気が良い時に流行るものだという意見があります。戦後から失われた20年と少しまでが日本の経済発展の全盛期で、夜の街のどこに行っても演歌が流れていました。
そこを仕事を終えた人たちが歩行もままならない程に飲み、怪しげな足取りで、訳の分からない「おだ」を上げたり、流れる演歌に口添えしながら歩いていたものです。
そういう景気が良い時は、
『もう一軒行こう。君、もう一軒だ』
『課長、もう帰りましょうよ。次行けば4件目ですよ』
『何を言ってんだ。若いもんが、まだまだ、序の口だぞ。カラオケだ』
などと言っていたものです。
そうして4件目では課長はカラオケを台無しにするほどのグーグー、ガーカーとうるさい寝息。
こういう時の演歌は、確かに人生の悲哀の歌詞であっても、なにか明日への活力になり得たものでありました。
■ デフレの今に演歌
デフレで経済が低迷し、多くの人たちの給与が実質に低下している今において、演歌は身につまされれる思いを感じる、少し気持ちを下押しするところがあります。
『何や、しんき臭い歌やな。もっと明るいのは無いんかい!』
と、今は演歌が流れると思われているふしがあります。しかし、明日への力強い歌も中にはあるのですが。十把一からげ(じっぱひとからげ)にされている感があります。
■ 演歌とは
演歌は、人生における男女の仲の悲哀、悲恋、別れなどが好まれるフレーズですね。そして哀調を帯びたメロディー。歌詞にでてくるような経験は誰の身にも多かれ少なかれあって、「なんでもないことを、死ぬか生きるかのように誇張してうたう」事を演歌とするとの主張もなされています。異存ございません。
■ 演歌の良さ
演歌の歌詞には別れ言葉はつきものです。悲恋失恋は欠かせないものです。
『とがわば何の恋の味』とかいいます。どんなに好きでも、遂げてしまえば、
「あの愛おしさは何だったのか」といずれはなります。大恋愛の末結婚して、直ぐに分かれてしまう人いるのはおそらくはそれでしょう。
その点、悲恋失恋は、美しい。物語が、二人が生きているほんのわずかな期間で完結してしまうのですから。相手を思う気持ちが悲恋の裡に別れとなり、心に永遠となるのですから。そうした感じを匂うわせるのが演歌の良さかも知れません。
川中美幸さんの演歌「愛は別離(わかれ)」という曲の最後には、「愛し足りないうちが華(はな)」という歌詞もあります。うまいことを言いますよね。