お金は天下の回りもの
会話に、
『ああ、あのお金は使って無くなったよ。いつまでもあると思う方がおかしい』
などと言います。しかし、単なる言い草であって、正しくは
『あのお金は、わたしの手から、他人の手に移った』
というべきでしょう。お金は何かを買ったからといって、この世から消えてしまう訳ではありません。
■ 正しい言葉
つまり、
「お金は天下の周りもの」
という表現は、当を得ていて実にお金の性格を正しく表した言葉だと言えます。
お金を使ったら、そのお金は誰かの手に渡り、そのお金がまた誰かに渡りそこに、利ザヤや付加価値が付いたものの取引なら、金額は膨れお金の回りは拡大していくものです。これがGDPの拡大です。
例えば、桃の生産者は種を買い、労力をかけて育て、付加価値として一個の値段を付けるそれを販売者に売る、販売者はそれに販売に係る労力と利益を付加して売る、そして消費者に渡る訳ですね。
その間に、お金は人手に次々と渡り、最後に消費者にたどり着く、消費者は会社からの給与でそれを支払う。
要するにグルグルとお金は、世の中を回り回っています。
■ 使われないお金はないのと同じ
もし、給与なり、売り上げの利益なりを不確実な将来のために、貯金に回そうと考える人が多ければ、その貯金となったお金は、死に銭というか使われないお金で、世の中を回りません。付加価値の大きいものへの出費をしません。
今日のようなデフレでは、人は気前よく使うことにためらいがあります。それは、誰でも同じですが、お金が回らない、貯金に回るとは結局物を買うことを控える、消費を控えることになるだけです。少しでも安いものを求めます。
日本に、個人の資産が何百兆円とあったところで、使わなければ結局全体の生活がデフレに進んで見すぼらしくなるに決まっています。使わないお金はないのと同じなのです。
■ 日本人がドンドン貧しくなる
日本人が、年々貧しくなるのは、デフレ経済であるからです。ら旋階段のように、日本人の生活質はドンドンと低下して行っています。企業はバイト使い、正社員を減らし、収益を上げるのに懸命です。それは仕方のないことかも知れません。
企業も、デフレ下で他の企業との競争に勝たねばなりません。いかにコストを切るかが命運を握ると言ってもいいわけです。そのためには、一番のコストのかかる人員を、質が低下しようが、押さえるしかありません。
■ 財務省
結局、誰が悪いのか?
それは、日本の財務省です。ここがこの日本人の貧民化を主導してきました。即ち、財政の健全化の至上主義です。財政健全化とは、お手本のドイツのように収入に見合うだけの出費をして、財政の収支を均衡させようとする計画です。一見ただしい。しかし、デフレ期に行う政策ではありません。
景気が過熱しているインフレ期にはそれも良いことでしょう。しかし、日本のバブルがはじけてデフレが始まってもこれを行えば、去年より今年、今年より来年という風に、財政のパイがどんどんと小さくなり、デフレは深化していきます。
家族を一人の稼ぎで支えきれなくなったお父さん。
国民がどんどん貧しくなること、父親の権威がデフレで収入が落ちたことで同様に失墜したとわたしは悔やむ。お父さんの給料では家族が食っていけなくなってしまったのです。
若い人の給料が、上がらない限り日本の将来は衰退するばかりです。
■ 政府
これを、どうにか出来るのは政府しかありません。
政府には、経済の積極財政の専門家が行政トップにつき財務省を指導するようにならなければ、財務省の言いくるめられるだけの政治家だけになります。
今こそ企業がサラリーマンの給与を上げたら、法人税を減免するとか、その他の優遇処置を与えるとかして、何としても若い人の給料を上げて欲しい。