わたしの手相
「はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活(くらし)
楽にならざり ぢつと手を見る」
とは石川啄木の哀哭(あいこく)の短歌です。誰しも高校卒業までには一度は教科書で見みもし読んだことが、きっとあるでしょう。そして、つくづくでもないものの自分の手を見ることもありませんでしたか?
今日は、そのような材題の歌に親しもうという趣向ではありません。わたしの手相の話です。手相への興味は誰にでも少しくらいはあると思う。しかし、公然と路上やどこかのショッピングセンターにいる占い師の前に座ることというところまで、行くことは稀でしょうね。
■ 占い師
わたしは、二十歳代に一度占い師に手相を見てもらったことがあります。よくは思い出せないのですが、わたしに誰か連れがいて彼が診てもらい、それに便乗したようです。その場所がどこであるのか、連れが誰であったのかは、少しも思い出せない。
ただ、占い師は壮年(働き盛りの歳)をやや過ぎた感のある女性で、なんとなくではあるがその職業にふさわしく思われた。
■ 彼女の占い
彼女は、わたしの手をとって、何を占ってほしいのかと尋ねた。そして、わたしはこう答えました。それだけは今でもにはっきりと覚えています。
『何歳頃に成功しますか』
成功すると決めつけて、更に何に置いてかを言わずに漠然としたわたしの質問に、ぎょろっとした目をして無言でわたしの顔を見返した占い師。わたしは、文筆家になるのがその頃の夢でした。
『何の仕事で?』
と問われて、茫然とした質問を恥じて、その職業を答えました。
すると、彼女は少し考えて
『55歳くらいかな』
『そんなに先のことでっか、、、』
と落胆しました。そのあともいくつ項目を占って貰ったはずであるが、まるっ切り覚えていません。
随分と先の話であったため、わたしはその占いのことを直ぐに忘れてしまいました。若い時には、自分が歳をとることへの実感が伴わず、その頃を想像出来ないものです。
また、その歳に至るまで、あるであろう何かしらの険しい道のりや努力が必要となると想像すると、さっさとあきらめもつくというものです。
もしかしたら、そんなことは諦めた方が良いとの諭(さとし)だったのかも知れません。
■ 最近になって
最近偶然にも、手相占いをネットで見かけることがありました。わたしは、もう占い師が成功するとした歳を過ぎています。翻ってその占いは当たっているのでしょうか。
いいえ、当たりませんでした。というより、わたしはすこしもそのための努力しなかったし、すでにあきらめもしていたので、当然でしょう。
■ 最良の手相
ネットでの占いでは、わたしの手相は、非常にラッキーな線を幾つも包含していると判断できるものです。
例に挙げるなら
・ラッキーMが両手にある。(生命線、運命線、感情線が交差して出来る)
・財産線が明確に出ている。(小指に立つまっすぐな線)
・神秘の十字がある。(感情線と生命線の間にクロスする線がある)
・自立線がある。(人差し指のの付け根辺りへ延びる生命線からの線)
・仏眼がある。(親指の関節に人の目状の筋が出る)
などです。
■ 手相のタイプよりも
人にはとても素晴らしくても、あれさえなかったなら、言うことなしという人がいます。
また、
とてもぐうたらであるのに、これだけでそれが帳消しにしてもいい、と思える人もいます。
わたしの手相を例えるなら、前者でしょうか。