聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

神がかりな発言

 

 

画像出典:@SAKUちゃん


世の中には、神がかり的な発言や行動で人を恐れさせたり盲信させたりすることが出来る人がいます。四柱推命とか手相とか占星とかの占いもその一つですね。

 

わたしの知る人の中にはそういう事が可能な人が、これまで一人だけいました。直接の知り合いではありませんが、どこか上場している大手の建設会社の役員の娘さんであったと記憶しています。

 

しかし、二十数年の前のこともあり、名はおろか姓すら覚えてはいません。しかもわたしはこういう人を疑わしく感じていたこともあり、それ程に気に留める事もありませんでした。

 

ちなみにその役員の娘さんは、当時二十代半ばの若さであったと記憶しています。

 

 

■ 神の声が聞こえる

話に依ると、この娘さんに対して、神のお告げがあるというのです。もちろん本人にしか解り得ないことなので、それを周囲が信用することの是非は託すしかありません。そのお告げと言うのはこうです。

 

神からのお告げの「神」とは奈良時代の高名な○○天皇だというのです。このへんで、その手の話に眉唾にしか感ぜられないのが一般的でしょう。

『へえ、○〇天皇?へえー。よく分からんけど凄そう』

というのが大方の反応。

『それで、その天皇がここを掘れとお告げがあるというの?』

半信半疑に聞き返すしかありません。

 

しかし、そのお告げどおりにすると、地中から歴史的に重要な遺物が発見が出来てほぼお告げの内容と同様のものだったということでした。しかし、テレビや新聞で報道された記憶はわたしにはありません。

 

その遺物がなんであったかは詳しく教えられたことがあったけれど、金目もものではなかったことは確かです。もし、黄金とか宝石であれば記憶に必ず残っている筈ですから。

 

■ 次のお告げ

次にもお告げがありました。この時は先に書いたように歴史的な遺物が発見されて3ヶ月程した時のことで、盛夏の頃であったと思います。そこは水田の中で、稲と取り入れ後に試掘するということで秋まで待ったのでした。

 

そして、時は来て試掘を行いました。結果は、幾つかの遺跡は出てきたものの、歴史的な価値と言える程のものは含まれず、幾分お告げの真贋が疑われる結果となりましたが、何一つ出なかった訳ではなかったので、無残に終わった訳ではありませんでした。

わたしなどは、「それ見た事か、怪しい話」酷評して溜飲を下げたものです。

 

 

■ 次のお告げ

それでも、何かしらの歴史的遺物は出たので、この娘さんのお告げを聞くことが出来る能力を、疑わずにいる人もいました。それが、その娘さんの父親である上場建設会社の役員の知り合いでした。

その知り合いが和菓子店を営んでいたところ、年々客足は衰え始めてきていました。現存の店舗から新しい場所に新しい店を建築して、出直しを図ろうと考えていたのを相談に乗ったようです。

そこで、娘さんに新店舗を構えるに相応しい土地の選定に神のお告げを依頼したらしい。

 

 

■ 新店舗の立地のお告げ

京都市にあるある有名な公園の入り口辺りを選定の○〇天皇のお告げが出ました。迷うことなく、この和菓子店はそこに小さな店を開きました。わたしも一度、訪れた事が有ります。小売りのショーケースの外に、数組のテーブルがあり、和菓子で小休息が取れるしゃれた和風の空間がありました。

 

過日、そこの前を車で通りがかりにその店を一瞬でしたが外から伺う事が出来ました。盛業かどうかは不明ですが、まだ店が畳まれた様子はありません。おそらく、このコロナ禍でも生業は続けて行けているのでしょう。神に守られていると信じているのかも知れません。それが、店を続けて行ける原動力となっているのかも、と思ったりもします。

 

その後の、娘さんの消息は上場建設会社の役員であった人と疎遠になり、知れません。いつまでも神のお告げが聞けるものなのかは分かりません。もっと知りたい気もしますが、この手の話がいつまでも続くとも思えず、他の知り合いにも聞かず仕舞いとなってしまいました。