長く生きていますと、
『こんなことって、あっていいのか!』とか
『こんなことになるとは夢にも思わなかった』
というようなことが、誰の身にも少なくとも一度や二度は起こるものです。
一生を埋める積もりの会社が倒産するとか、愛する人を失う、仕事が合わずに病気になって退職を余儀なくされた、地震や火災で家や家族を失った、不治とも思える病にかかったなど、さまざまではありますが、誰の身にも本当は、ごく普通に起こり得ることです。
まあ、それを意識しないで生きられている内が、「人生の華」でしょうか。
■ 誰の身にも
そのまま、生涯を終えることが出来るなら、それに越したことはありません。しかし、そうは問屋が下ろしてはくれません。必ずどこかで、思いがけない落とし穴があって後に、
『あの時、ああすればよかった。こうも出来たに違いない』
とか、
『あの時、どうして、この道と決めたのだろう』
とかを悔やむことも少なくありません。しかし、それらの道を仮に回避出来ていたとしても、別の何かが待ち受けているのは、ほぼ間違いありません。そういうものです。誰でも。
■ 受け止めるしかない
そして、それを完全には回避できなものであってみれば、それを受け止めるしかありません。また人生の出来事のすべてが「想定内」として生きていれば、その時に至っても、自分を見失ってしまうことを回避できるかもしれません。また、そういう場に至っても、多少の希望も見いだせるというものではないでしょうか。
■ 時だけが解決する
一生に多くの大切なものを失い絶望に立ち、恨みを持ち、後悔に苛まれることも、時が経てば少し、また少しと薄れていきます。それは完全に消失することはありませんが、薄れていきはします。人は、すべてをいつかは完全に失います。いつまでも生き続けて居るわけには行きません。
どんな人の身にもこれだけは平等であろうかと思います。その日が来るまで、惨めでも、しぶとく、図太く、幾多の困難を乗り越え、踏みつけられても枯れない雑草のように、生き抜こうではありませんか。
恩師の死におもう。