聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

この世はなんでも有り得る

 

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画像出典:安らぐ和の心

 

長く生きていますと、

『こんなことって、あっていいのか!』とか

『こんなことになるとは夢にも思わなかった』

というようなことが、誰の身にも少なくとも一度や二度は起こるものです。

 

一生を埋める積もりの会社が倒産するとか、愛する人を失う、仕事が合わずに病気になって退職を余儀なくされた、地震や火災で家や家族を失った、不治とも思える病にかかったなど、さまざまではありますが、誰の身にも本当は、ごく普通に起こり得ることです。

 

まあ、それを意識しないで生きられている内が、「人生の華」でしょうか。

 

 

■ 誰の身にも

そのまま、生涯を終えることが出来るなら、それに越したことはありません。しかし、そうは問屋が下ろしてはくれません。必ずどこかで、思いがけない落とし穴があって後に、

 

『あの時、ああすればよかった。こうも出来たに違いない』

とか、

『あの時、どうして、この道と決めたのだろう』

 

とかを悔やむことも少なくありません。しかし、それらの道を仮に回避出来ていたとしても、別の何かが待ち受けているのは、ほぼ間違いありません。そういうものです。誰でも。

 

 

■ 受け止めるしかない

そして、それを完全には回避できなものであってみれば、それを受け止めるしかありません。また人生の出来事のすべてが「想定内」として生きていれば、その時に至っても、自分を見失ってしまうことを回避できるかもしれません。また、そういう場に至っても、多少の希望も見いだせるというものではないでしょうか。

 

 

■ 時だけが解決する

一生に多くの大切なものを失い絶望に立ち、恨みを持ち、後悔に苛まれることも、時が経てば少し、また少しと薄れていきます。それは完全に消失することはありませんが、薄れていきはします。人は、すべてをいつかは完全に失います。いつまでも生き続けて居るわけには行きません。

 

どんな人の身にもこれだけは平等であろうかと思います。その日が来るまで、惨めでも、しぶとく、図太く、幾多の困難を乗り越え、踏みつけられても枯れない雑草のように、生き抜こうではありませんか。

 

恩師の死におもう。