半開きのドア
トイレの戸を半開きで用を足す。
そういう人は少ないでしょうかね。しかし、わたしは一人暮らしが長かったので、トイレに入っても戸を閉める理由が見当たらず、開けっ放しでした。
また、いつ何時に地震が起きることも有り得ることでしたから、戸を閉めて用を足している途中で、閉じ込められてしまうのも怖い。そんなところで、餓死するのも厭だ、ということで敢えてとを閉めなかったとも言えます。
■ 結婚後
結婚してからは、そういう不安は解消されてはいます。が、その習慣から完全には抜け切れずにいます。もちろん、全開というのではありません。ほんの少しだけ開けているのです。トイレの電灯の光が、一条の筋のように廊下に差すといった程度でしょうか。
■ 妻子も
それを、何故か妻も子も同様で、したがって我が家は全員が、トイレの戸を完全に閉めません。それは用が足し終わった後の戸でもそうです。完全に「カッチ」というところまでは戸が納まりません。無論来客のある時は別ですが。
彼女たちは、どうしてそのようにしているのかは聞いたことがないのですが、聞いたところでと思うので聞かないままです。反論や反問されても面倒だから。
■ 外出より帰宅
長い時間をトイレ休憩もせずに車を走らせる。街中で何時でもどこかにかけこむことも出来るという安心感から、妻や子がどうなのかは斟酌(しんしゃく)しないでいることがあります。
そして、家に帰りつくと、玄関の扉を開けるのももどかしく、バタバタと彼女たちがトイレに駆け込むということも、多くはないもののかなりあります。
■ 数週間前
外出先からようやく帰りついた時のことでした。帰り道は距離はそれほどでもない出先ではありましたが、道は渋滞して思いの外に帰宅が遅れてしまいました。そして這う這うの体(ほうほうのてい)で帰宅。
妻が、玄関の戸を急いで開けトイレに駆け込みます。
すると、トイレの中から大きな「ブッ~」と音がして
『あ、』
と娘がわたしの顔見る
『あ、』
とわたし、
『あ、屁こきよった』
と娘。
『あは、長く生きると、男も女もないさ。皆あんな風になる』
とわたし。そこまで大変なら、言ってくれればどこかにトイレ休憩をしたであろうに、と思ったことでした。