聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

生ゴミ出しとマガモの声

 

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画像出典:開運家相.com

 

昨日の木曜日は、生ゴミを出す曜日。一週間の内、月曜日と木曜日は生ゴミ、火曜日はプラ、水曜日はペットと瓶の混合となっており、いずれもわたしの当直であります。

 

別に妻からの要求があった訳でも、妻が要望を漏らしたというのでもありません。共に歳を取ると「相身互い(あいみたがい)」とでも言うのでしょうか、つらい日々の仕事を手が空いておれば、互いに補完する行動が自然と出来上がったりするもので、わたしの行動はそれに当たります。

 

近所の人も同じようなことをしております。近くの隠居同然の男性は、洗濯物干しもやっており流石に立派というほかはありません。それは我が家では妻に任せておりますが、足の骨を折って入院中であった妻の代役もこなしたことがあり、非常事態の訓練は出来ております。

 

■ マガモかも

そういう訳で、昨日は生ゴミを集積場まで出しに行きました。朝の六時頃でしたでしょうか。陽が昇るもの早くなり、辺りはもう十分に明けていて、東の空が明るく高層の建物の上層階の一部に弱い光が当たり始めていました。

 

近く大きな田があり、マガモのつがいが田ごしらえを待っているという話は以前のブログでも書きました。生ゴミ集積場はその近くでもあり、田の横の農道に立って、辺りを見渡しました。何かの鳴き声らしいのやや野太くて最後は甲高くもある声がしきりにしています。

 

掛け合いで交互の挙げる声は、あるいはカエルの鳴き声かも知れないとも思われました。

わたしは、

マガモかも。それともカエルかな』

と悩んでは見たものの、姿も見えないので判断はつかずじまいでした。カエルにしては、声が大きすぎとも思いましたので、おそらくはマガモであろうと断定は一応下したものの自信はない。

 

ところが、つぶらな両の瞳をメガネ越しに凝しても、マガモのつがいらしいの姿は見えません。もともとマガモは、田のような場所では保護色となり、見えづらくはあるのです。

 

■ 分からず仕舞い

結局のところ、マガモのつがいの声なのか、カエルの声なのかは判然としなまま、家に戻ほかはありません。

 

田は、水が満水となり、後は田植えを待つばかりです。マガモのつがいにヒナが生まれたらいいのにと、期待を寄せてはいますが、田の持ち主は

『ここでは雛を返したことが無い』

と明言しております。それでも一縷の望みはあるかも知れないと思う。