聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

余命10年であったが

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画像出典:asahi.com

 

わたしたちの何かへの努力や計画、夢や希望の実現への道筋には、「不慮の事故」のアクシデントは織り込まれていません。

 

不慮の事故とは、例えば病気や怪我が当たるでしょうか。それは、それまでの努力を台無しにし、人生の計画や夢、希望を大きく棄損します。そして、全く新しくそれらを練り直さねばならなくなるものです。

 

ニュースで目にする有名な人たちの病気や怪我での人生の暗転は良くめにするとことですが、他人ごとではありません。わたしたちは、明日には同じ運命にならないとも限りません。

 

■ 健康であること

健康であることは、そのような憂き目を合わずに済む可能性が高くなります。怪我は、自分の努力でも避けれないかも知れません。しかし、これも注意深く生きておればある程度はリスクを減らせるものです。

 

■ 二年間入院

高校2年の夏の終わり頃に、九州旅行を控えて身体検査がありました。その時、校医から検尿の再検査を病院で受けるようにと指示され、あくる日の朝、公立の病院で検査をして貰うと、

『たんぱくと血が大量に尿に交じっている。直ぐ、入院しなさい。検査では、もう手遅れ気味の症状だ。家にはこちらから連絡しておくから。放って置くと1年も持たない』

と言われ、通学カバンを持ったまま、入院しました。私以上に親は驚いたことでしょう。

 

わたしは、余りの大きな出来事であったために、受け入れることが出来ず、悲しさも悔しさも湧いてきませんでした。

 

■ 余命10年

それから、2年間入院と自宅療養をし、復学して卒業。20歳となっておりました。結局、入院時よりは症状は改善したものの、完治には至らないままでした。慢性の腎炎では、完治しません。

 

『これ程、酷い病気ならどれくらい生きられますか』

とわたしは主治医に高校の卒業時に聞いたことがあります。

『悪化が進まなければ、長生きできるかもしれないが、悪化させてしまうと30歳までかも知れん。激しい運動や塩辛いものは食べないように』

医者は、養生を推奨するために、余命10年を脅しのように言ってくれたのかも知れません。

 

■ 余命を過ぎても

わたしは、余命の30歳まで結婚をためらっておりました。結婚して家族を路頭に迷わすのは憚られる。しないでおこう、と決心して生きてきました。しかし、30歳になっても、少しずつ悪さ加減は進むものの死にそうにもありません。

 

■ 結婚し子が出来ても

その後結婚し、子が大学を卒業しても尚生きながらえております。

想い起こせば、この余命10年がいつも頭から離れず、楽しい運動も、体を動かす仕事も避けて生きてきました。やりたいスポーツも仕事もありましたが、諦めて生きてきました。

 

何故、このような病気なったのか、今でも合点がいきませんが、ここまで生きられたなら、「人生めっけもの」であります。

 

人は、一時間後に何かの原因で死ぬかも知れない、とは予兆がなければ誰も思いません。若い人は、わたしのようにそこそこ生きてきた人間より更にその意識は薄いことでしょう。

 

しかし、人生でも社会でも将来のことは誰にも本当のところは分かりません。