誰かの楽は、誰かの苦労
人は、楽できるものならそうしたい、そうして居たいと思うものであります。誰であっても何も、進んで苦労をしたくないのであります。従って、手を抜いて、省エネに生きられるなら、勿論喜んでそのようにします。
これらは、恐らく自己保存本能のせいかと、勝手に考えておりますが、果たして専門家はどう言うでありましょうか?
■ わたしに出来ること
わたしに出来ることといえば、インスタントラーメンに湯を注ぐことや多少の家事手伝い。あるいは、食べ物を顎で咀嚼(そしゃく)する程度であります。他にはパソコンに向かっての殆ど、筋肉を働かさない仕事ばかり。
■ 妻は息切れするようになった
妻は洗濯やその後の干し物、料理や掃除など、その多くは肉体労働で、最近はふうふうと息切れも聞くようになりました。家庭においては、妻の主導は変わりませんが、わたしは、出来る限り気を利かせて手伝っております。ゴミ出し、食事後の洗い物、風呂の用意、子供の弁当のご飯の用意、買い物など。
■ デスクワーク
わたしのデスクワークを楽な仕事と思われたら辛いですが、仕事にそれ程楽なものはなく、体は楽に見えても精神疲労はかなりのものです。従って、どこかで辻褄を合わせたくなり、本来なら自分がするべき筈のものを、遣らずに放置してしまうこともあるものです。
しかし、わたしが手を抜くと誰かがやってくれています。勿論、その逆の時もありますし、どちらかというと、手助けすることの方が多い。会社とは、そのように、出来る人が出来ない人をカバーして何かをやり遂げる組織と言えます。
■ 誰かの苦労
しかし、もしやるべきことが社内の部署で総量が決定して居れば、誰かが手を抜けば誰かがそれをフォローしなければならなくなる。それで成り立っている組織なのですから相互に助け合えないと、その組織から脱落して退職してしまう人が出ることになるのは、当然でしょう。
「自分の楽が、誰かの苦労」
になる時であります。