過去にお金に苦労した人とか、倹約をモットーとしている、あるいはせざるを得ない状況にある人は、お金を使うことに非常に敏感です。財布からお金が出ていくことに、途轍も無く危機感を露わにします。
従って、お金が減ることに苦痛すら感じます。
収入がどんどんと増えるような時代であれば、その感覚は少しは鈍りますが、基本的に一生変わらない性格かと思います。
■ 母の口癖
わたしの家はかなり貧乏でしたので、いつも母が
『お金がない』
とこぼしておりました。わたしは、その言葉を刷り込まれて育った気がしています。現在でも、お金がない、と自分自身が思うことは、母の言葉の再現となる気がして、お金にそう困ることがない場合でも、お金が出ていくことには、多少の苦痛が生じます。
■ 物をお金で買うこと
物を買って、それが自分の物になる、手にすることが出来る、というのには喜びが生じるのが一般的で正常な感情であると、何かの書物で読みました。しかし、わたしや私と同類の人は、逆に苦痛でしかありません。ものを得ることより、お金が去って行く方が辛いのです。
■ ブランド品
しかし、どうしても買わなければならない時には、買うしかありません。が、それは何もブランド品であったり、有名な商品である必要を全く感じません。
妻や子は、そうではなくて、ブランド品や有名品を買いたがります。わたしは、それを止めさせたり非難したりはしません。見ているだけです。何もブランド品でなければ彼女たちの値打ちが落ちる訳でも、上がる訳でもないと思いながら。
■ 買う喜び
こういう場合、彼女たちはブランド品を買った喜びに浸って居られるのが、わたしには不思議なくらいです。わたしの、この気持ちをおそらくは理解できないでしょう。
彼女たちは、何もブランド品でないものを買う場合でも、買う事、そしてお金を使うことに至極当然の喜びを感じるようで、欲しいものはそれ程の躊躇なく買います。この場合は、ブランド品とかの高価なものではありませんが。
■ 将来
将来が、希望に満ちた昭和の時代のようであれば、わたしは妻や子に節約を必ずしも希望しません。しかし、その将来は現在においては厳しい予想しか出来ません。出来る限り、そういう時に備えて置いて節約して欲しいのですが、強要は出来ませんしね。