聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

年齢や地位によって敬語を使い分けること

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画像出典:日本教師のn1net

 

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 ボブはまるで自分務めるオフィースのように入って来て、開放的な広い室内の中に特別に設けられたガラスの仕切りのある部屋のドアをノックした。目隠しの降ろされたブラインド少し開かれているが、中にいるかの判別は出来なかった。

 彼がそこまで行くのに誰の咎めもなかった。部屋中に絶えなく電話が鳴り響き、対応に追われる社員は皆慌ただしく、入ってきた彼に気を止める者などいない。

『空いてるよ』

 中から、太い声がして、ボブは扉を押して部屋に入った。歳の頃二十代半ば過ぎの綺麗に後ろ引いた黒髪の顔立ちの鮮やかなこの青年は、扉を背にして少し歩んで立った。

 

『やあボブ』

 窓を背にして腰かけた四十がらみのベンは大きな机を前に、幾枚もの書類を持つ手を一瞬止めて、チラッとボブを見やってから、ブツブツ言いながらそれらのあちこちに何かを書き込んた。

 

『やあ、ベン。久しぶりだな、元気だったかい』

ベンは書き込んだ書類を書類箱に放り入れると、立っているボブの方に手を差し出して、二人は握手を交わした。その眼には、ボブの用向きが知れているという、ある種の自信のようなものが見て取れた。

『ああ、ボブ。この通りの忙しささ』

『実は、ベン頼みたいことがあるんだ、、、』

ボブは大きなベンの机の端に腰かけて切り出した。

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このような、映画やテレビドラマのシーンを見かけることがある。その中では上司、あるいは年上の人であっても、多少の丁寧な言い回しを使うというようなことも、人の地位によって、言葉遣いを変えたり、人の名の呼び方を使い分けることは殆どありません。あるとすれば、軍隊でしょうか。

 

また、日本では考えれれない、相手の机の端に腰か出ながら話すことも珍しくありません。それは、映画のだけの話ではなく、ごく普通に行われている景色であるようです。

 

ロシア人の日本在住のYouTuber(ユーチューバー)も、これまで述べてきたのと変わりがなくロシアでは行われており、日本人の目上の人や年上人への言葉使いには、戸惑うと述べています。日本は多分特殊な環境であるのかもしれませんね。

 

■ 地位は違っても

日本では、例えば芸能界で同じ芸能会社出身のアイドル同士では、先輩であっても「○〇君」と呼ぶのを見ると、違和感を覚えます。同じ会社で先輩への言葉としては正しくないし、尊敬していないとしても形だけであっても、敬語がつけられるべきだ。

 

日本人ならそう誰しもが思うことでしょう。

しかし、このアイドルグループの社長は、青春時代をアメリカにあり、アメリカ社会の人との関係を身につけたのでしょう。そのままのスタイルを、日本の自分の会社においても適用して、アイドルたちを育てたと思われる。

 

日本において、このように人間関係が欧米のようにフランクに受け入れられることはまずはありえません。

 

■ 日本なら

日本において、このような場面を想定してみましょう。

会社において上司である田中課長に社員である山本太郎くんが、朝の挨拶を想定しましょう。

『やあ、田中課長おはよう。今日は早いね』

『おはよう。太郎、君こそ早いじゃあないか。何か急ぎがあるのかい』

『そうなんだ。昨日仕事の終了間際に、取引先から急ぎの契約内容の確認があったんだ。今朝に返事を待ってもらったのさ』

 

まあ、ざっとこんな風でしょうか。こんな風でもわたしはかまわない。しかし、何かそれでも違和感は残る。

おそらく日本社会がこんな風には、ここ一世紀以内でも到底なれないだろうとも思う。

尚、冒頭の小説風の記述は、筆者が考えました。