わたしは、建築畑を歩み続けてきました。
力のいる仕事では務まらない程の体力なので、建築業界に入る前から設計や管理の畑を歩いて行こうと決めていました。大病を高校時代に患ってからの決心でしたので、迷いはありませんでした。
建築設計事務所にを最初15年程度勤務してからは、実入りの良い建設現場に出て図面を描いたり、業者に図面を描く指示したりする、工務の仕事へと移り、同時に個人事業主として独立もしました。
働いて来たのは、日本でも4社のみと言われる超大手の建設会社が殆どでした。その現場ですら、十数億程度の規模であれば、女性は事務員一人以外にはおらず、後は男ばかで現場監督人やわたしを含めて10人足らずです。
わたしは、自営業者(個人事業主)としてその大手の建設会社に入りこんでいて、服装も身分も建設会社社員と同様の扱いでしたので、割と快適でした。
従って、仕事の多くは事務所内である事から、朝の朝礼時には女性事務員とわたしだけが事務所に残る事が殆どであったのです。
この業界では女性事務員は、若い年代の人は殆ど言っていいほどおりません。
平均すれば40歳代半ばと言ったところでしょうか。なかなか、厳しい仕事なので、若い人は殆ど集まりません。
わたしがこれまで居た現場でも50歳以上の女性しか巡りあうことはありませんでした。と言う状態なので、当時はわたしは結婚しておらず、また、その有力な候補者も見つけられないまま、多忙な日々を送っていました。
建築現場は、その工事が終わればまた違う土地に行ってそこで工事となるので、いわば旅芸人の様なものでした。
そういう中で、この話に出てくる女性は、そのうちの現場に居合わせた一人で、こんな会話をしたことが、数多い現場で一番記憶に残っています。
その事務員の女性は歳の頃55-6歳で、男ばかりの現場事務所を渡り歩いている人なので、男の扱いも慣れたもので、わたし達にとっては、男たちの母親の様な立場にありました。
■ 会話
それは、全員が現場に出て朝礼があり、わたしと女性事務員と二人だけがそれに参加することなく、事務所に留まっていました。その時部屋は、初冬でエアコンの吹き出し音だけが、流れていたのを思い出します。
女性事務員の机とわたしの机とはそこそこ離れていて、話すことはあまりなかったのです。
朝の掃除と言って、机の上の拭き掃除をして回る女性事務員はわたしの机も拭いてくれることがありましたが、大抵の場合図面や書類だらけで拭く程の余地は殆どありませんので、そういうわたしの席を見渡して、来ることは殆どありませんでした。
しかし、その日はわたしの机の上が珍しく片付いていました。
会話をした時はその時でありました。
女性事務員は、
『お早うございます。いつもお早いですね』
といい、顔を上げたわたしを見て、にっこりと微笑みました。わたしもお早うございますとかえしたと思います。そこで普段は終わるのですが、女性事務員はわたしの方にやって来て、わたしの机の空いた部分を、撫でつけるように軽く拭いた後で、
『聖護院さん、仕事がお休みの時は何をされていますの?』
と独身男に興味があったのかそう問うたのです。
『はあ、何をって』
『デートとかされないのですか?』
『はあ、彼女が居ませんので』
『まあ、お可哀想』
そう思うのなら、誰か紹介してくれてもいいだろうに、とわたしは思いました。
『紹介できるような人がいればいいのだけれど』
わたしの心を見透かしたように言って女事務員は、遠くを見るような目になりました。
『それじゃあ、ずっと家にいるのですか?』
『はあ』
わたしは、これまでそれ程この女事務員と話したことは無いので、その日に限ってこれ程話しかけてくるのを訝しく思いました。そして、何だかこれ以上の会話が面倒臭くなり始めていました。
『休みの日は、凄く暇ですので、金玉の皺を伸ばしてくつろいでいます』
と言ったのです。
『はあ、金玉の皺、、、』
そう繰り返して、大仰に顔を真っ赤にして笑い出しました。哄笑です。そして、なかなか納まりません。笑いながら自分の席に戻りましたが、そこに至っても笑いが止まらない様子。
現場の朝礼から戻った男たちで、事務所も騒然とし始めましたが、女事務員は、思い出すのか、ひとり笑いが終日に渡って止まることがありませんでした。
今の時代でしたらセクハラとなるでしょうけど、その時は普通にこの程度の会話は有ったのです。良い時代でしたね。