聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

日本語しか話せないことの幸せ

 

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画像出典:東洋経済オンライン

 


英語が話せない、と悔やむことなかれであります。いくら努力しても英語がうまくならないことは、実は幸せな事であります。

 

■ ノーベル賞受賞者益川敏英

日本の理論物理学者で2008年のノーベル賞受賞をした益川敏英博士は、ノーベル受賞式後のスピーチにおいて「わたしは英語が話せません」といって日本語で行った。英語が出来ないでノーベル賞を取り得たことに、ホールに集まった人が驚愕したと言われています。

 

何故、驚愕したのか?

世界の国で英語が使うことなく理論物理学が、ノーベル賞を受賞する程までに深く研究ができるとは誰も思わなかったからでした。豈図(あにはか)らんや、日本語のみでそこまで到達できたことに驚いたのでした。

 

■ 母国語

どんな国にも母国語が有ります。母国語しかできないのであれば、深く掘り下げた外国の研究内容を査読したり、理解するためには、母国語に翻訳する必要があります。

この気の遠くなるような作業の積み重ねがないと、それが出来ません。従って、世界中の多くの国では、それが叶わず、仕方なしに英語を完全習得しないとどうにもならないのです。

 

■ 日本語に移植

明治に入ってから、日本は欧米との文化の歴然たる差に驚愕しました。そして、一刻も早く差を埋めようと、多くの研究者や知識人が多大なる努力を重ねました。英語やドイツ語などで作られた文を、一つ一つ日本語に置き換えて行く作業です。

つまり翻訳です。

その膨大な作業に屈することなく日本語の資料として積み重ねてきました。その作業も、日本では、江戸末期には、そろばんで微分積分をする程の数学も高みに居ましたので、それらの外国の資料を理解が比較的に速やかに理解できたのでした。

 

■ 恩恵

わたし達は、その恩恵に今、浴しています。英語が出来なくとも、益川氏のようにノーベル賞までとれるところまで、日本語で考え、日本語の資料を読むことだけで、到達が可能です。どんな究極的な研究であっても日本語で考え、突き詰めることが可能です。

 

思い返してみれば、わたし達日本人が中学生前から、社会人になっても英語が上達しないのは、英語を使わなくても日々何ら不便がないからであります。

わたしも英語が喋れたり本が読めたらどんなに素晴らしいかを考えて、英語の本を幾度も買いましたが、成功しませんでした。それを使用しなければ、サラリーが入らない訳でも、出世できない訳でも、難しい理論が理解できない訳でもないからです。

 

それは、どんなにありがたいことでありましょう。総て先哲のたゆまぬ努力があっての事です。日本語しかできないことがどれほど素晴らしいことでありましょう。

 

日本企業の中には現在、英語を社用語としている会社もありますが、そんな必要は殆どの社員に必要はありません。対外国交渉の場で英語が話せる人間がいればそれで良いのですから。