人生を長く生きていますと、つくづく実感するのは、「良いことは長く続かない」であります。そう、人生の大半は苦難の道のりで、個人に差はあるにせよ幸運な日々というものは、殆どの場合僅かでしかありません。
良いこととは、将来に対する自身や子供に望める明るい希望や収入が順調に伸びるような時の事であります。
■ 良いことが少し続くと
人は良いことが少しの間でも続くと、それが末永く続くと信じたがるものです。信じたがることと、実際にそうなる事とは山と谷程の落差があって、信じたものが儚く終わることが殆どです。
しかし、人は明るい希望が何もないままで生きて行くにはあまりに辛く、余りにも悲しいので僅かな明るい希望であっても、それを長く続くものと信じたい、ということになるのでしょうか。
その僅かな希望がへし折れても、それでもう希望を持たないままでいるのかと言えば、人はまた新たなる希望を持てるものでもあります。それを生涯に渡り繰り返すこととなるのでしょう。
■ 希望だけがあった
よく言われる言葉に、
「昭和の時代には、何もなかったが、希望だけはあった」
と。何もなかったとは、語るほどに何もなかった訳ではありません。今ほどの溢れかえる生活用品や書籍、音楽、映像には恵まれていなかったという程の事です。それが、個人の努力や働きによって、会社での地位や収入の拡大が将来にわたり望めたのです。
今は、貧しくて苦しくても個人の努力で豊かな生活を作ることが望めたのです。
■ 今は
今は、周りに溢れる家電製品は豊かではありますが、しかし、一体どんなことで将来に希望が持てるでしょうか。
それが、今の社会では誰も描くことが出来ないでいます。日本だけでなく、先進国と呼ばれる国においては共通した事柄であります。
■ 個人の才能を伸ばす
こういう時代には、わたしは個人の才能を引っ張り出す、自身の努力に希望を持つことは出来ると思います。こういうと、
『俺には何の才能もない』
と反論されるかも知れない。しかし、才能は人の数だけあります。それを見つけて引き出せるのは、恐らく平凡な人であれば、自分自身であるほかはいません。見つけられても、たかが知れているということで、戦う前から敗戦しているということになるかも知れません。
しかも同じ分野にたくさんの才能の有る人があって、自分の才能が、活かされるかどうかは未知数でしょう。しかし、決して希望を捨てることなく努力を続けて行けば、いつかは希望は、実現すると信じたい。
それは、いつかであって今の努力と希望が何十年もの間一度も日の目を見ない、大方60歳過ぎにやっと目鼻立ちが付くというような事であるかも知れません。しかし、自身の才能を信じて努力する、今の時代には自身に希望を持つことが一番大事であろうと思うのです。
「自らの立つ位置を深く掘り下げて行けばいずくにも泉湧くべし」(ニーチェのことば)
があります。
「自分の才能を信じて、それに磨きをかけてへこたれることなく努力すれば、溢れる泉のように開花する」とでもいえばいいでしょうか。何より自分の才能を信じて努力し、続けること。こんな閉塞感のある時代であるからこそ、非凡に、毎日を自らの才能のために生きてみようではありませんか。