『聞いたことがあるなあ。どのへんだったけ?』
という返答が来ると思います。外国人が東京を知っていても、他の日本の都市には少し危うい知識しか持たないのと同様でしょう。
■ フィラデルフィア
その地は、冒頭の画像に記された通り、アメリカの東部でペンシルべニア州にあり、カナダの国境に近い都市です。人口がアメリカ国内でも6番目に多い都市です。ワシントンDCが出来るまでは、ここが首都であったこともあるのです。映画「ロッキー」の舞台となったことでも有名ですね。
しかし、治安の悪さでも有名ではありますが、ペンシルベニア州全土がそのような状態では勿論ありません。
冒頭の画像はそのフィラデルフィアの街の一角を撮影したものです。しかも、今年の事です。
この画像を見ると、左の若い女性は、まるで死人のように汚れた土の上に仰向けに寝ています。その横の若い女性二人にも生気はありません。この人たちをはじめ下の動画をまずはご覧いただければ、その悲惨な実態が何となく解るでしょう。
■ 一角ではある
このような惨状はフィラデルフィアとい都市の一角ではありますが、夥しい人が最早生きる気力もそれに必要なお金も持ち合わせて居ず、ドラッグと呼ばれるような、幻覚剤で日々の虚しさや惨めさ、苦しさから逃れているのです。
ゴミがあたりに点々とあり、州政府から雇われた掃除人が掃除をする。しかし、ゴミはいくらでも次々と発生して、追いついていません。
重大な犯罪が起きないように、警察の車が構えているが、検挙をする様子もありません。すでにお手上げなのです。
幻覚剤のいくつかの種類は、合法的に認められている州でもあります。それは、思うに取り締まれない程に拡散して、最早薬物の一部だけでも合法としなければ、使用者を検挙も覚束ない。たとえ禁止薬物であっても、それをいちいち確かめることもしません。それは、一部を合法化することで、行政は取り締まる煩雑さを免れたいだけなのです。
「類は友を呼ぶ」とでもいうのでしょうか。次々に人生をドロップアウトした人たちが集まって来るようです。
衛生観念もなく、夢も希望もない人生幻覚剤に逃れるしかないのかも知れません。人はあるいはこう言って非難するかも知れない。
『もっと、こうなる前にちゃんとした努力を怠ったからだ』
『人生を甘く見ているからだ』
或いは、
『働かないからだ』『意思が弱いからだ』
と。
■ 人生はちょっとしたことで転ぶ
しかし、ここに溢れた人たちは、何も最初からこの場所やこの生活を望んでいた訳ではないでしょう。それは、ちょっとした誤算、思い違い、時間のずれ、何とはないつまずきや軽度の失敗などがあって人生の歩みから転んでしまっただけの事なのです。
それは、本当にちょっとしたことがきっかけであったと思います。それが、悪い方に転がり続けたのかも知れない。不運が重なっただけかも知れない。
わたし達は、今日何事もなく平穏無事であり得たとしても、それは明日を約束するものではありません。明日になれば、どんでん返しに奈落に落ちる道に立っていることがあっても不思議ではありません。
この人たちを、他山の石として、自分の今を位置をしっかりと見つめて、いつ非常事態になるかも知れないことを肝に銘じて、日々を過ごしたいものです。
明日は我が身であるかも知れないのですから。
■ 冬が来る
この動画では、薄着でも過ごせる頃のものですが、これから冬が来ます。カナダの国境に近い州では、冬は厳しい。この人たちはそれを乗り越えて、来年の春まで、生き延びることが出来るでしょうか。