わたしが唯一持っている文学全集は、森鴎外だけで、ずいぶん高いのを買ったので、9割方は読みました。が、そのほとんどを覚えていません。しかし、例えば「最後の一句」とか「高瀬舟」などはその内容が痛烈で、何かの拍子に頭をぶつけた時のようなジーンとした痛みのようなものだけが今でも残っています。
しかしながら、その内容は殆どを忘れてもいるという、人が聞けば辻褄の合わないような記憶なのです。
■ エッセイ風
むしろ、一番の鴎外の作品で面白かったのは、カンガルーという動物の名前の付き方の顛末を書いた随筆です。
ある探検家であった人が、始めてカンガルーを見た時、ジャングルの原住民に、こう聞いたといいます。
『あの、両足で跳びはねて移動する生き物は何というのだ』
と。
すると、原住民はこう答えた。
『カンガルー』
『そうか、カンガルーというのか』
探検家はその生き物をカンガルーというのだと合点したのですが、実は原住民は
『カンガルー(おっしゃっている意味が分からない)』
と答えたというものです。
鴎外が書いたこの逸話は、このようなものであったとわたしは記憶していますが、それは大よその話で寸分違わないという訳ではありません。
しかし、わたしが、20歳ころに読んだ鴎外の随筆に、痛く感動して以来カンガルーという動物の名前の由来をそれであるとずっと信じてきたのです。が、実は正しくはありませんでした。別の説が出て来たようでしたが、それはわたしにはどうでも良く、鴎外の書いた説を信じて今日も疑わない。
■ インドリ
それでふと思い出したのが、別の逸話です。逸話というか、知る人ぞ知るという話に次のようなものがあります。
マダガスカル島には、インドリという原始のサルが生息しています(冒頭の画像)。そのインドリという名をこれまた原住民が、「ほら見ろ」「あそこに」(there he is)の意があるindriもしくはindri izyと叫んだのをピエール・ソネラが本種の呼称と誤解したことが由来とされています。
これも、「カンガルー」の逸話に似たような話で、実在するマダガスカル語はiryでありソネラが誤解だけでなく聞き間違えた可能性も示唆されているそうです。
こういう話は、他にも沢山あって動物だけでなく、物や自然にもあるに違いありませんが、暇つぶしにもってこいの対象ではあります。しかし、わたしには日々の生活に追われてその機会が殆ど無いことが、残念でなりません。