聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

才能の差

 

画像出典:ホイミ

人としてこの世に生を受け、天分をいかんなく発揮して、世間の耳目を集めたり歴史に名を残すような偉業を打ち立てることは、はかなくも人の夢でありましょう。

 

たとえそれ程にまで行かなくても、自身の才能を開花させて人生の成功者として満足して死んで行けたらと思うものです。

「人の数だけ才能は有る」と言います。しかし、それは人の社会でどれ程に評価されるかを考えれば、趣味の域、同種の才能者の半分の域などである事が殆どです。それに満足すれば、それで良いでしょう。しかし、更に高みに進む時、才能の差は忽然と現れて来て、煩悶の種となる。

 

 

■ その為には

その為には、やはり不断の努力も必要です。

しかし、どんなに努力をしても持って生まれた豊かな天分としか言いようのない同分野に才能をを持つ人には敵いません。その分野でその人の為にだけ特別に与えられたと考える外ないような人より抜きんでた才能を発揮する人がいます。

 

 

■ 天才とは

このような人には、凡人が重ねる血と汗と涙の努力を持ってしても殆ど歯が立ちません。凡人が何年も掛けて積み重ねて来た末に築いた努力の結晶を、僅か半年とかを経ずして会得したり、それを更に高みにまで引き上げる程の力があるのです。

 

それ故、例えばエジソンの名言である次の言葉、

「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」

 

などを見ると、少し空虚に思えてきますね。エジソンも一日に16時間も研究に没頭したという事実がたとえあって、その中に山ほどの失敗があったという話にも、その1%の才能に差がある筈であるなどとわたしなどは、どこまでもひがんでしまう。

 

 

■ 秀才

このような天才と呼ぶ人でなくて、いわば秀才と言っていい人ならわたしの周りにも幾人かいます。何というべきか、ちょっとした複雑な事の経緯(いきさつ)をすんなりと理解し『これはこうすれば良い』

などと、先を見越したように言える人もいれば、

『これは、このような事例からこうすればよい』

など、どのケースも凡人よりはいち早く思い浮かべて、その解決策も同じ位に早く出せるというような人です。

 

 

■ 凡才過ぎる人

わたしは、このような天分の人を驚嘆したり絶賛します。が、わたし自身の能力から遠く隔たっている事から、ことさらに羨望したりしません。歴然とした才能の差があるからです。

 

わたしが羨んだり悔しがったりするのは、わたしと大して違わない凡才で有るのに、偶然や幸運や引き立てがあって、わたしの遠く及ばないところに登る人です。

 

努力や苦心をしながらチャンスをつかんだのであれば、悔しくとも納得するしかありませんが、親族や知人の人脈などを使って、巧妙な手口で地位を掴んだような人には、納得がいきません。

 

が、そのようなギラギラとした嫉妬や自分の望みを、最近は何故か何とも思わなくなりました。今更にどのような努力を持ってしても、どうにでもなるものではないとういう諦念でしょうか。歳のせいでしょうか。

 

そのようなわたし自身をわたしは、残念におもう。ただ、わたしはわたしの報われることのないイラストを描き続けるライフワークを死ぬ間際まで努力し続けたいとは思う。