聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

ハトの餌やりする人に思う

画像出典:日本鳩対策センター

 

テレビなどで報道されるハトの餌やりの迷惑行為。ある自治体では、禁止条例まで作って規制をしたりしています。確かに、鳩が群がって餌に向かうところを見ると、少し薄気味悪いという感情も起きますね。

 

それに、抜けた羽や白い糞、電線や街灯、植え込みの木の枝などに群れを作って止まっているのを見ると、糞の害に合わないかヒヤヒヤします。それが運悪く衣服に落ちた日には、憤慨を静める事には難儀します。

 

わたしも若い頃に一度、大阪の天王寺のJRのホームでハトのフンが頭に落ちて来て、えらい目にあいました。持っていたハンカチやら新聞で何とかその場は繕いました。それで、今でもハトは嫌いです。ハト派もですが。

 

■ 条例で止めることは難しい

ハトへの餌やりを条例を作っても規制することはなかなか困難です。というもの、その人がなぜハトに餌やりをするのかを知り、その人の心のケアをする事の方が、はるかに必要だからです。

 

わたしも、スズメにほんの少し餌を与えたりして観察したりします。

その餌やりが慣れてくると、わたしが玄関に出るだけで、早朝などどこからともなく舞い降りてきて、近づいて来たりします。

『今日は、ちょっと遅いのと違う?待ってたんや、あんたを』

てな風です。

 

少し餌を撒いてやると一羽だけが特に、わたしに慣れていて撒くわたしの動きに、そう恐れる気配も見せず餌をつついています。この時には他のは、やってきません。

その一羽がなかなか可愛いのです。

 

 

■ 撒きえに寄って来る嬉しさ

さて、撒きえをして、スズメが五羽最終的に寄って来て、無心に食べているのを見ていますと、ハトに餌をやる人の気持ちが少し解る気がします。ほんの餌やりの動機の一端に過ぎないかも知れませんが。

 

ハトは単に餌をくれる人間と言う認識に過ぎないでしょう。しかし、餌を野に探す苦労から考えて、はるかにありがたい筈です。人間を信用していない、捕獲される可能性もある、だろうけれども餌が貰えるのは捨てがたい魅力でしょう。

 

それで、ハトは餌をくれる人に近寄って来る。

 

わたしがスズメに感じた

「なかなか可愛い」

を多分ハトに餌を与える人も感じているのではないでしょうか。そして、家では家族に特に大事にされている訳でも、期待されて居る訳でもなく、居なくてもいても存在感が無い。そういう人は、自分が必要としてくれるハトの方が可愛い、と思えるのでしょう。

 

また、ひとり暮らしであってみれば、愛情がハトに移るのも致し方ないのかも知れません。人は、誰かに必要とされ生きていることに喜んで欲しいものです。

それが、ハトの餌をやる人の心情でしょう。

 

 

■ 迷惑行為

それがハトに餌をやる人の心情であっても、人に迷惑をかけていることに変わりはありません。餌やりを止めてもらうしかありませんが、行政でも離れて暮らしているかも知れない肉親でも、愛情を持って餌やりの人を接していれば、納得してくれることも、そう難しくはあるまいにと、ふと思った次第です。