しつけ お仕置き
小学校の頃のわたしは、授業など大抵が上の空でした。
先生が、
『これの答えがわかる人』
と手を挙げて、生徒を見わわします。すると、我先にと皆が手を挙げます。それに釣られてわたしも上げますが、答えはまるでわかりません。それでも、負けずと合わせて
『はい!はい!』
運悪く先生が、わたしを見て
『じゃあ、君、答えて』
するとわたしはすかさず
『はい、わかりません』
教室内に嘲笑とざわめきが起こります。
『解らないのなら、手を挙げなくいい!』
わかる人が手を挙げるのですから、先生も困ったでしょうね。
■ お灸(きゅう)
そういう学習態度が家庭訪問時の話題に上り、わたしは父からげんこつと罵声を浴びせられたことも。それでも、変わらなかったので、
後から聞いた話ですが、
『あいつ、虫が湧いとるちゃんか。やいと(お灸のこと)をすえたろ』
と、父が画策しました。
『ええもんやるから、帰っておいで』
と呼ばれて、喜んで帰ったら、父母に兄弟も加わってわたしを畳に押さえつけ、お灸をすえ始めました。遠い昔のことで、その熱さ全く覚えなく、その時の状況はこの程度にしか記憶はありません。
わたしは、途中で気絶したようで、しかも唇が紫色になって父母も
『これは、いかん』
と思ったのか、途中で中止になったそうです。わたしの少年の頃は、何かというとお灸をすえるというような、今では考えられないような、民間の荒治療を、しつけと称して行っていました。
お仕置きをすることを、「お灸をすえたれ」などと、かつてはよく言いました。この言葉でさえ、いまは死語というか殆ど使われません。最近では、セーラームーンを見ていて、
『月に代わってお仕置きよ~』
と主人公の「ウサギ」がいうところを見ただけですね。
■ 先生は絶対だった
学校で先生に叱られた、といえば
『おまえがちゃんとせんからだ』
と、げんこつが下ったものです。その生徒の内面など何も斟酌(しんしゃく)してくれませんでした。先生の威厳は絶対でしたから。今の先生は、何かといえば、父兄からの苦情に直面して、威厳もくそもありません。本当に気の毒な時代ですね。
今から思えば、別世界のような話ですが、本当にありました。そして、そうして育っても、人間性が歪むとか、ぐれたとかの話は、滅多にありませんでした。