猫と犬のどちらが好きかと問われれば、わたしは犬でしょうか。喜怒哀楽がはっきりしているから。かといって、猫が大嫌いという訳でもなく、比較し選択を迫られたなら、こうなります。
子供の頃は、わたしの小さな体に犬は吠えたり、じゃれついて来たりすることから、畏怖の対象でした。だから少しも可愛いいとは思いもしなかったのですが。
猫はその点、想像以上の素早く動きをしてびっくりさせることはあります。が、吠えもしなければ、知らない人間にじゃれついて来もしなければ、威嚇も余程の事がない限りは彼らの取る手段ではありません。
■ 猫は好き嫌いがはっきりしている
猫は、好き嫌いがはっきりしていて、厭な人には近づきもしません。犬は犬好きの人であろうとなかろうと、気に行ってもらいたいと思うらしく、尾を振りじゃれつこうとします。
しかし、猫は猫好きではない人には、直感で解るようで
「お前は猫嫌いだろう?そういう奴には用はないのだ」
というはっきりした意思表示を示して、胡散臭げにさっさと、どこかに消えてしまう。
■ 猫の思い出
わたしが二十歳代の中盤頃に住んでいた、ひと間のアパートの一室の窓を開けると、隣家のトタンの壁が、30センチメートルくらいまで、迫ってその狭い空間は猫の通り道になっているようでした。
猫は、春先の一日が長くなる頃が「さかり」のピークらしく、その狭い通りみちで、毎夜騒ぎを起こしたものです。なぜ寒がりの彼らにそれが、この時期に来るのか?理解しがたい。
■ 猫の騒ぎ
猫同士の異性での最初の鳴き声は、実に穏当で
『こーお、こーお』(わたしにはそう聞こえる)
と、さかりの時でなければ、聞くことのない低い声で、鳴き交わす。この程度であれば、問題はまるでない。
ところが、ある段階に差し掛かると
『ふぎゃあ~、ふぎゃあー、ふぎゃあ!』
と一匹が打って変わって、まるで威嚇しているように叫びを上げます。
すると、今一匹が、(多分相手の一匹だろうと思う)
『ふぎゃあ~、ふぎゃあー、ふぎゃあ!』
とほぼ同じような調子で、声を上げます。両者は、同時にその声を上げ、バタバタと動きがある。取っ組み合いをしている様子。
猫の言葉は理解できないから、何がどうなっているのか知れないまま、その声は明け方近くから始まり、少なくとも一時間はゆうに続くのです。
しかし、就寝中のわたしは、必ずこれに起こされた。怒り心頭になって、モノを投げつけた事も一度や二度ではありません。しかし、それでも他所に行ってくれない。
■ 外階段に
アパートには鉄製の外階段があって、わたしの部屋へはこれを利用する必要がありました。この階段の踏み段のところに、猫のうんこが段ごとに一つづつ積まれていることもよくありました。
昼間に温められた鉄の段板が猫のお気に入りだったのかも知れません。そこにされたうんこは、猫にしては法外に大きかった。それを、踏まないように狭い階段を上り下りするのです。思うに猫が好きでないのはこの時からであろう。
■ 人間よりまし
しかし、猫のさかりは、年に二度程度です。それに比べたら人間はいつでも可ですからうるさいと言っても、人間よりはましというべきでしょうか。(うんこの件は別にして)