聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

我谷は緑なり

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画像出典:丹波

「我谷は緑なりき」という題名の映画を、相当な以前に見たことがあります。名作ばかり三本千円で金曜日と土曜日に毎週上映され、ほぼ欠かさず見に行っておりました。この映画もそのうちに一本で、殆どの内容は忘れました。

 

ただ、白黒映画で「緑なりき」という題名から自らが住んでいた谷への回想の形だった気がします。アメリカの炭鉱を中心として物語の展開。明るくて大所帯の炭鉱夫の家族が落盤などで次々と死者を出して、一家が離散していくような筋であったかと思います。

 

その映画をわたしが覚えているのは、わたしの故郷である小さな山間への郷愁が、この映画の題名に合致しているからでありました。映画のあらすじとは殆ど似て非なるものではあります。しかし、その平和な暮らしが次第に崩れて、一家が次第に離散するという大筋は、わたしの身の上の展開と大きくは変わりません。

 

わたしの暮らしていた時代の故郷は、今は失われてしまった活気にあふれた若い活力のある時代でした。

 

■ 今も

そして、今も故郷は緑に溢れていることに何ら変わりはありません。ただ、わたしが子供の頃の所謂「里山(さとやま)」とは違っています。今は里山は滅びました。

 

里山は、自然がよく手入れされ、田は耕され、畑は作物が実る豊かな土地のことです。刈り込まれた、土手や山の斜面、その一角に立つ農家の屋根から、一筋の煙が立ち上り、柿の実が色ずく、それは、まるで箱庭のような調和のとれた景色でした。

 

それが今は荒れ放題になったままに放置され、鬱蒼と雑草が生い茂っています。満面の水をたたえて、早苗が植わる筈の田が背高い草の生い茂る景色と変わっています。

 

■ 年々

年々、高齢化と少子化でわが故郷は「限界集落」となることも遠くはないでしょう。わたしの村の十数人の同級生も居残ったのはたった一人だけです。

 

わたしは、秋の収穫された後の田の中で、村の同級生ととっぷりと日が暮れるまで、ソフトボールに興じていて、帰ると父にどやされたことを懐かしく思い出す。それはまるで、映画のハイライトを見るように、同級生のそれぞれのはしゃぐ顔と鮮やかな自然と共に。

 

■ 歴史が繰り返すなら

もし、遠い将来に、再び農村に活気が戻るような歴史の繰り返しがあるなら、どんなにか嬉しい。それを願って止まない。何かが助けになるのなら、助けもしたい。