聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

自然災害 裏山

 

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画像出典:ロイター


 

熱海の豪雨災害のような雨による災害は、日本だけでは無いようですね。

となりの国である韓国や中国でも大きな被害が出ていますし、ドイツ周辺国でも大きな洪水被害が出ています。

 

欧州は、土地がなだらかな国が多いので、一旦洪水になると水がなかなか引かないという、日本とはちょっと違った被害も加わるようです。

 

■ わが故郷の住まい

わたしは、高校まで田舎暮らしだったのですが、住んでいた家は背後に村一番の山が控えており、その裾野の一部を削り取って出来た宅地が我家の敷地でした。建っている家の背後に切り取られた山肌が所々に見えて、時々小さな崩落も何度かありました。

 

家と背後の崖の間は2mもなく、その崩落にわたしは震える程怖かった。しかし、わたし以外の5人の家族は、歯牙にもかけないという風で、肝っ玉が据わっているのか鈍感なだけなのか分からないけれども、少しも驚くこともなかった。

 

崖は家の高さの倍はあって崖の上には、山の勾配のままに耕されたわずかな畑などもありました。

 

■ 陽当たり

陽当たりの良い土地とするためには、どうしても東西に延びる谷の北側に住居を構えます。それは日本では、南向きが最良の土地だからです。

 

それに従って、わたし達の谷のすべての家が、わたしの家の並びにありました。夏は日が差さず冬はよく陽が入る、これが日本でのいい土地の典型なのです。

 

ですから、どの家もわたしの家程ではないものの、家の背後には段々の田が有ったり、畑が有ったりして、その崩落や土石流の危険は常ありました。

 

■ 台風や大雨

台風や大雨の日は、わたしは布団に潜り込んでやり過ごしたものです。

それで、何とかなると当時は思っておりました。

幸いにも、わたしが成長して土地を離れ年をそこそこにとって、後ろの山肌が崩れることはついにありませんでした。

その土地に残ってその後も暮らした両親はその災害の憂き目にも合わず、過ごせたのは本当は単に運が良かっただけなのかも知れません。しかし、仮にどんな危険があるとしても、両親はこの土地を捨てることは無かった、あるいは出来なかったであろうとおもう。

 

時々帰る我が家の廃墟に立つと、当時の恐怖がまざまざと蘇る。