「誰か故郷を思わざる」は日本国内では題名が難解でヒットしないだろうということで、戦地に送られて二次世界大戦の戦地で大ヒットした曲です。
「だれが故郷を思わないことがあるだろうか。いや思うに違いないのだ」という風に反語になっています。これが当初、難解な題名とされたゆえんでした。
わたしも、この時代の人間ではありません。が、昭和の生まれの人間として、時々この歌を耳にしますと、戦地からではなく都会に住むものとして、山間(やまあい)の我が故郷に思いを巡らすことがあります。
■ 故郷は廃るばかり
その郷愁は車で高速道路を走れば2時間とかからずに満たされれる近さにありますが、帰ったところで殆ど人に出会いません。わたしの年齢はおろか、高校生以下の子供をこの方久しく見たことがありません。
所用で地元のお寺の住職と話す機会がありました。わたしの同級生の行方を尋ねてみますと、
『知らんなあ、みんなこの村にはおらんから』
というものでした。そして、
『若い者が村におらん!』
と吐き捨てるように言った言葉が現実を語っています。
■ 若い人がいない
村に若い人がいない事が、村を衰退させる原因なのです。では、何故若い人がいないのかといえば、働き口が近くにないからです。お金が殆どすべての時代に、お金を得る手段がない。これは深刻な問題で、殆ど解決不能に思えます。
■ 廃ると余計に湧く郷愁
そのように、村が寂れれていくのを見るにつけ、京都市内から遠くなくても郷愁は年々増す気がします。子供が稲を刈った田に入り、ソフトボールをしたり、瓦投げをしていた光景が、記録映画のように思い浮かびます。
その田にも今は人影はなく、放置され、夏場には生い茂ったであろ雑草が、冬場に無残枯れて荒涼としているばかりです。
■ 都会に出た人の子供の故郷ではない
故郷から都会に出て、そこで生まれたわたしの子供の故郷は、生まれた都会の地であります。親の故郷ではありません。親が持つ故郷への思いは、殆どないでしょう。これがまた、わたしを故郷が廃れるとい郷愁に駆らすのかも知れません。