聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

年賀状に見る一家の盛衰

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イメージ図です。画像をクリックしても無駄です。

画像出典:印刷のウェーブ

 

年賀状を長年やり取りしていますと、その相手の家(我が家)の盛衰が解るようになります。盛衰という言葉が適切かどうかは分かりません。あるいは、移り変わりと言い換えた方が適切かも知れません。

 

例えば、わたしの場合やわたしの知人らの我が家に来た年賀状を例にするならば、こんな風になります。大変適当ではありますが。

 

■ 独身時代

わたしも知人の多くも若く独身生活の時には、互いにせいぜい来た年賀状の相手に毎年は送るものの、友人や知人には殆ど送りませんでしたでした。これは、お互いに「メンドクサイ」からであります。

 

■ 結婚

結婚すると、相手の実家や親せきから来るようになるものです。また、既に結婚している友人などからも、同じ立場になってやり取りがするようになって、届くことが増えます。

 

■ 子供が出来る

子供が出来ると、その嬉しさから家族や子の画像入りのハガキを送る。相手に可愛いなと思えとばかりの多少押し付けがましい送り方になります。が、大抵の場合送る側は、そんなことに斟酌しません。わが子が可愛さ余りでの行為ですから。

 

■ 子供が成長する

それは、幼稚園、小学生までの間は続いたりしますが、中学生になると画像入りの物は来ず文面側に子供の名が付き、何年生とか何歳とかが記されるだけとなるのが一般的ですかね。

 

■ 子が中学生・高校生

中学生以上になると、文面の「来年は受験」などという文字があったりします。それを見て、

『どこの高校を狙っているんだろう』とか

 

『あの子は良く出来るらしいけど、私立に受験かな。まあ、ピンからキリまであるけど。金があるんだな』

などと他人事ながら、大きなお世話ながらしばらくは推定の話題が続いたりします。

『わたしの家も有名校に入れなければいかんなあ』とか密かに焦ったり。

 

■ 子が大学

大学になると、家の話題などは殆ど年賀はがきにはなく、手書きの一言には

「元気でお過ごしですか。こちらは皆元気です」

「御変りありませんか。また、会いたいですね」

など、全体にぼやけた書き込みとなります。

 

■ 子が社会人

大学を出て社会人になったころには、それが男性の場合は

『あの子、どこに務めているんかいな』

『書いてないし、相手も遠回しに聞いても言わないから』

てなことになります。こちらも言わない人と言う人に使い分けをするとかになります。

 

■ 子の身の上

わが子が務め始めたと思ったら

「娘が結婚しました」

とか

「息子が、嫁を貰いました」

とかが書き添えられている年賀はがきが来ることが、年を重ねると多くなります。そして、結婚しないわが子に内心ヤキモキしてしまいます。そして、翌年当たりには、赤子の写真入りの年賀状を受け取ることになります。

 

■ 中年以降 喪中はがき

自分たちが中年を過ぎるころからは、喪中はがきが届くようになります。父母の死や兄弟の不慮の死などが年に一通程度届きます。

 

■ 壮年

殆ど二人だけの送り主の名で年賀状が来ますが、特に書くほどの出来事もなく、印刷文面以外には、手書きの書き添え文も殆ど記載がないままであることが多くなります。

 

■ 老年

長年連れ添った片方を無くしたというような喪中はがきが来たりするようになると、それが親しい人の方であったりすると、喪中が明けた歳に年賀を出すのが良いのか、控えた方がいいのか迷ったりします。

 

■ 完全なお年寄り

もう、いつ死んでもいいような歳には年賀状は来ないか、子供夫婦に同居して居れば末席の位置に名前がでて、89歳といった風にかっこ書きで書いてもらう程度。この歳では知人の殆どが身罷(みまか)っていますから当然ですが。

 

■ やがて

やがて、そのお年寄りも○〇老人ホームからくるようになり、やがて来なくなると、

知人の喪中のハガキが来るという顛末になります。そして、わたしが死んだという喪中のハガキを妻か娘が出すことにいつかはなるでしょう。

 

おしまい。