聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

もし、お金持ちが貧乏になったら

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画像出典:ヨムーノ

お金持ちは、いつでも何事においても自信たっぷりです。この世の殆どの懸念は、お金で解決し、それを彼らはもっているのですから。それゆえ彼らは、かなり尊大です。一般的な生活者を見下していると見受けられるところが、少なからずあります。

 

これは、一般的な生活者であるわたしの卑下した感覚もかなり含まれていますが、それを差し引いてもなお感ずるところです。

 

■ お金持ちが貧乏になったら

わたしの望みもお金持ちですので、お金持ちが嫌いなわけではなく、ありがちな自信たっぷりな態度や尊大な態度が嫌いなだけです。お金持ちになれば誰でもそうなるのでしょうか。

 

もし、現在のそのお金持ちが、何かの理由で貧乏になったら、どんな生き様に変わるのかは見てみたいと思う。

 

先代からの資産があって、裕福な暮らしの場合には、それまでの生活態度が抜けきれず、カネもないのにある風に装い続けるのか、一変して貧乏臭くなるのか、大変興味があります。人間はそう簡単に生活を大きく変えることが出来ないので、貧乏になることに一般人より拍車がかかる気がします。

 

つまり、これまでの生活を捨てきれず、次々と資産の切り売りを行い、身ぐるみを剝がされて最後は、その身一つになる。その公算はかなりあります。明治、大正の時代の富裕層が大正末期から昭和に入り没落していったように。

 

■ その人に才能が有れば

その人に、お金を稼ぐだけの才能や知識があれば、その身一つとなっても、立て直すことは可能でしょう。しかし、カネがある時とはかなり低姿勢というか、卑屈になるざるを得ないでしょうね。食うための仕事を貰わなければなりませんから。

 

そんな時に初めて貧乏な人の気持ちがわかるのかも知れませんが、貧乏な人が更に貧乏になるのとは違い、もっと屈曲した思いが湧きだすのではないでしょうか。不幸にも没落したことへの恨みが、自分自身にではなく社会に向くようなことです。

 

■ 金持ちになったら

わたしが金持ちになったら、羨んでいた金持ちに見せつけたい、見返したいという気持ちはあります。そしたら、どんなにか、溜飲が下がるだろうとも思います。

半面で、

これまでと同様の生活を少し豊かにするだけで、いかにも裕福そうに暮らしたくはない。冒頭で書いた、金持ち自信満々の態度や尊大さを出したくはありません。

 

静かに、一般的な人と違わない程でありたいとも思う。そういう日が来ればの事ですが。