聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

おカネがない

画像出典:筆子journal



 

わたしが子供の頃はかなりの貧乏で、いつも「おカネがない」と母は嘆いていました。それは殆ど口癖のようでもありましたが、事実としてもおカネはなかったのです。母は体が弱く、家事ですら満足に出来ませんでした。我が家は専業農家でしたが、それだけでは食っていくことが出来ず、父は村のあらゆる日雇いの仕事をこなしていました。

 

わたし達三人兄弟は、いつもヒヤヒヤしながら食事をしておりましたが、それはいつも米が米びつが底をつく近くにあって、隣家から借りまいをするしかないことを子供ながらに理解していたからでした。

 

おカネの無さでの母の嘆きや、収入が増えない父親の苛立ちを、子供のわたしとしてはある程度は理解もし、何とかならないものだろうか、何とかなってほしいと願うしかありませんでした。

しかしその貧乏が辛いとか恥ずかしいこととは少しも思いませんでした。それは物心ついた時から、中高生の間まで家にいた時には変わることがなかったことでしたし、直接誰かがわたしをからかう事もあまり無かったからです。


つまりわたし達の家族は貧乏が身に沁みついていたというより貧乏であることが生まれた時からの標準仕様だったのです。

 

母からお金への嘆きがない様にしてやりたいと、わたしは思いを抱き続けていましたが、その方法はまるで思い付けぬまま、社会人となっても少しも裕福になることは無かったのです。

 

それは今でも変わりませんが、両親は既に他界して久しく、せめてもの思いで、墓参りすることしか出来ません。墓の周りの清掃、墓石の洗いをし、あまり高くはないけれど不足のない花を供えて手を合わす。その供養がわたしの懺悔心を癒してくれる。