日本では、思っていることをそのままいえば大抵がセクハラやパワハラになります。よく考えて口を開けば良いのですが、いつも自分の立場をわきまえず、つい失言となります。「沈黙は金」ならずとも「べらべらとしゃべるな」は名言です。たとえ、それが愛情の一つの表現だったとしても。
■ 男性の女性に対するセクハラ
日本の男性による日本女性に対するセクハラは、一向に無くなりそうにはありません。また、今後もそう容易になくなるとも思えません。
何故なら、女性も男性に対してセクハラともとれる暴言があるからです。
例えば、「禿げ」「バーコード頭」「オッサン」「臭い」「糞じじい」「ちび」など日本女性は、平気で言います。女性は、自分たちへのセクハラには非常に敏感ですが、自分たちの男性に対するセクハラには、鈍感です。許されていると考えているふしがあります。
若い女性でも、同じです。多分、彼女たちの母親が、夫の事をそのように言っているか、言うことを容認しているからでしょう。対外的謙遜であったり、話題の提供のつもりであったりのためであったとしても、それは許されることではありません。
特に年配の女性の口の汚さは格別です。それを、堂々とテレビも笑いで流しています。マスコミですらこの体たらくです。
■ 女性から男性に対するセクハラ
男性が女性に向かって「ブス」などといえば、相当な批判は免れないでしょう。しかし、日本の男性は「禿げ」などと言われても、ムカつくことはあっても騒いだりはしません。心の狭い男だと言われたくないからです。従って、日本の女性は日本の男性に対する自身のセクハラに無頓着にでいます。
■ 女性が本当にセクハラを止めさせたいのなら
日本の女性が、日本男性から本当にセクハラを止めさせたいのなら、自らも正さなければなりません。テレビに出てくるコメンテーターの女性でも口の悪い女性は、平気でセクハラ発言をします。
日本の男性は、このような日本女性の発言に反論や騒ぎ立てないからと言って、自分たちはセクハラを止めないのなら、それは男性のセクハラもなくならないでしょう。
結局のところ、日本女性はもっと自らが襟を正すべきですし、男性も併せて意識そのものを変えねばいくらたっても、日本からセクハラは無くならないでしょう。